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2015.06.28 (Sun)

後宮徒然草

後宮徒然草

例によって甘さは無くダラダラ長いですが、それでもいいよという方のみ読み進めお願いします。
後宮を去る夕鈴の原作アレンジです。

それではどうぞ。
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15:06  |  夕鈴片思い編  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.09.13 (Tue)

下弦の月

「下弦の月」

夕鈴目線で短文です。
しんみり切ないお話、ぜひ月を見ながら読んでください(←無理か)

ではどうぞ。













月の満ち欠けは不思議だ。

昨日まで見ていた空に浮かぶ白磁の月は日を追うごとに満ち、欠けていく。
その月はどこで見ても、いつ見ても変わらずそこにあり、静かな輝きを内側から放ち、見る者の陰影をぼんやりと浮かび上がらせている。

夕餉を取り微睡んでいた頃、夕鈴は今夜も晴れた夜の空を眺めていた。
妃の前庭に設けられた四阿。妃専用の四阿は、この後宮に来てから夕鈴のお気に入りの場所のひとつになっていた。

後宮の夜は静かだ。
下町に住んでいた頃は、こうして月を眺めていても隣の家の喧噪や道行く人の話し声がしていたが、今は夕鈴の息遣い以外は何も聞こえない。ときどき、かすかに聞こえてくる虫の羽音だけが耳に心地よい。その音色に聞きしれながら、夕鈴は空へ向かってそっと手を伸ばした。

夜空に浮かぶのは丸い月ではない。
まるで片割れを失ったかのように半分だけ浮かぶ月に、ひとさし指で触れると、一瞬だけ歪んだような気がした。寂しげに青白く光る月に導かれ、空虚に揺れる心。夕鈴は空を描いていたばかりの手を降ろして、軽く胸を押さえた。

満月でも三日月でもなく、キレイに半分に割れた月。
そんな月を見ていると、どうしてこれほど心が急かされるのだろうか…。

いつもより早く刻む胸の鼓動と息を合わせ、夕鈴は浅く呼吸を繰り返す。夕鈴が呼吸を繰り返す間も、半月は夜空にくっきりと浮かんでいた。ときどきぼんやりと影を揺らしながら…。


「不思議…」

また手を伸ばす。今にも触れそうなほど近くに感じるのに、決して届かない月。

まるで私の心のように…。

確かにここに、この私の胸の内にはっきりと在るのに、伝えることの出来ない気持ち。消えゆくだけの…寄る辺のない、はかない気持ち。

目頭に温かみを感じたと思うと、月の輪郭がぼやけた。抗うことの出来ない感情の波に呑まれ、今宵も兎は涙を流す。

景色は歪みを見せていたが、夕鈴は振り払うかのように手を伸ばし続けた。このままきっと、届くことを信じて…。

ふいに視界に黒いものが走る。空を掴んでいた手に、暖かい何かが触れた。この感触は覚えがある。慌てて視線を戻すと、夕鈴の手を握りしめて、陛下が立っていた。


「へい…か?」

夢でも見ているのだろうか…。月が魅せる幻影か。月を背に浮かぶ人影を、夕鈴はじっと見つめた。
涙をたたえた瞳がまばたいたとき、目頭に触れるのは陛下の唇だった。

え…。本物?


「陛下!」

夕鈴は目の前で自分に顔を寄せる人影を確認する。長身の背に濃紺の衣装が翻る。月明かりを受けて眩しく光る姿に、一瞬目が眩んだ。

陛下は何か小さく呟くと、夕鈴の頬を両手で包み込む。


「夕鈴…」

か細い音色に体がざわついた。夕鈴の耳に届いたのは、冷酷非情な狼陛下の声でも無邪気な子犬陛下の声でもなく…ただ細く、今にも消え入りそうな声音。

悲しくて切なくて、また涙が出そうで、夕鈴は小刻みに震える胸を押さえた。


「泣くな、夕鈴」

陛下は声を絞り出すと、夕鈴をふわりと抱きしめた。肩越しに見えた月は、変わることなく半分欠けたまま。夕鈴は息を吐くと、陛下の腕の拘束を解いた。


「陛下、なぜこちらに?」

「回廊の端から、君が見えた」

「もっと早く声を掛けてくださいよー。びっくりしちゃった…」

乾いた笑い声を響かせて、夕鈴は瞳を伏せた。すっかり涙が消えたことを確認すると、大きな瞳で陛下を見上げる。見つめた陛下は、切ない表情を浮かべていて、夕鈴の心がちくりと痛んだ。

そんな顔…見たいんじゃないのに。


「お月見してたんですよー今夜は、満月じゃありませんが…でもキレイな夜だったので。陛下もご覧ください」

夕鈴はにっこり微笑むと、陛下の手を引っ張り四阿の椅子へと導く。


「半月なんですけど…キレイでしょう?」

「……」

陛下は黙したまま、夕鈴の手を握りしめた。手から伝わるのは…私を気遣う心。優しい優しい陛下が、私を心配している。


「夕鈴。何を考えていた?」

「……」

何を考えてたか…なんて。
夕鈴は、隣の陛下を見つめる。朱色の瞳が真っ直ぐ向けられていて、心臓が跳ねた。陛下の目は見慣れているようで、直視するにはいろいろ大変だ。この思いのすべてを悟られてしまいそうで…心の片鱗を奪われてしまいそうで…。

胸が熱くなって、夕鈴は視線を反らした。


「何も。ただ…月を眺めていました」

あの、片割れを失って寂しそうな月を。自らの届かぬ思いと重ねて、私は私を慰めていたの。月もひとりぼっち、私も…だから。


「下弦の月…か」

「下弦?」

「月が満ちた後、新月になるまでの間の月のことだ。弓が張った形に似てるから、弓張月とも呼ばれる」

夜空を眺めながら、陛下は呟いた。夕鈴もその目線を追う。
月が満ちた後の月。これから消えゆく運命。ふいに涙が頬を伝わり、夕鈴はふるふると頭を振った。
涙腺がおかしくなっているのかも。気弱になるなんて、私らしくない。

どんなときも…あなたを寂しがらせたりしない妃になるって決めたの。

泣いてる場合じゃないわ。

ぎゅっと目を閉じると、まぶたの裏側にも眩しい輝きを感じた。大きくて眩しくて…たとえ消えゆく定めだとしても、私はこれでいいの。そばにいるだけで…それでいい。


「夕鈴…」

陛下の囁きが響く。
陛下は、夕鈴の肩へ手を伸ばし掴むと、そのまま自らに引き寄せた。陛下の肩へ頭を預ける形で、夕鈴の体が傾く。


「……陛下」

「夕鈴。みなは満月が好きって言うけれど、僕は下弦の月が一番好きなんだ」

「…え?」

「下弦の月は、これから無に返って、しばらくするとまた満ちるだろう?丸い月がすべて姿を見せるための、月が満ちるための力を蓄えているんだ」

「……」

「下弦の月は、月が満ちる前の準備期間なんだよ」

陛下の言葉に夕鈴は驚いた。頭を上げると、陛下の顔を覗き込む。


「だから…僕は一番好き」

「……そう…ですか」

あの欠けた月が、寂しげに漂う半月が、陛下は好きだと言う。
片割れを失って孤独に泣くあの月が。




『下弦の月は、月が満ちる前の準備期間なんだよ』


あなたがそう言うなら…この、満ちることのない気持ちも、結ばない心も。消えゆくだけのはかない思いも、すべて。



「私も…好きです」


夕鈴は夜空を見上げる。




陛下が好きな、あの半月に想いを込めて。











二次小説第60弾完了です
しんみり…です。最近めっきり秋らしくなって来た季節を受けて
夕鈴が陛下への気持ちに芽生え、隠したまま「狼陛下の臨時花嫁」を演じようと心に決めた頃のお話です。恋する少女の切なさを前面的に出してみましたが、いかがでしたか?感想いただけると嬉しいです

いつも、陛下が夕鈴へ一方的に思いを寄せる展開を好んでいますので、我ながら珍しいなぁ…と思いながら書きました。半月とか三日月とか、欠けた月が個人的に好きです。丸い月よりも欠けてるほうがいいなんて、変わってるなぁと思いましたが、きっと好きな読者さまがいるはず!

お付き合いありがとうございました☆



07:06  |  夕鈴片思い編  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2011.02.21 (Mon)

君がそばに居るだけで

「君がそばに居るだけで」

久しぶりの夕鈴目線で少し長文です。
氾紅珠登場です。

ではどうぞ。














夜のとばりがすっかりと降りた妃の自室。
夕鈴は眠たい目をこすりながら、長椅子に腰掛けていた。
格子窓から差し込む月明かりは青白く、静寂に満ちた室内を囲うのはりんりんと奏でる虫の羽音だけ。
夕鈴がうとうとと船を漕ぎ出したとき、カタリ…と木の軋む音が小さく響いて、はっと目を開けた。戸口には陛下付の侍女が頭を下げて立っていた。


「お妃さま…」

夕鈴はまだはっきりしない頭を振り、戸口の侍女に視線を送る。


「どうしたの?」

「今宵はもうお休みくださいませ」

「……」

侍女の言葉で、夕鈴はまたか…と肩を落とした。
浅く息を吐き出すと、湯のみに手を伸ばしとうに冷め切ったお茶を飲み干す。
そんな夕鈴の様子に、侍女が悲しげに目を伏せたので、夕鈴は慌てて笑顔を見せた。


「遅くまでごめんなさいね、あなたももう休んでください」

「……はい」

侍女は控え目に答えると、再度頭を下げた。

夕鈴は一刻以上も暖め続けた長椅子から腰を上げると、寝室へとそろそろと進む。
途中、自分の湯のみとは別に用意された茶器が視界に入り、夕鈴の口からまたため息が出た。


「……」

今宵もまた、陛下は来られなかった。
もう幾日陛下に逢っていないだろうか…。政務室や回廊で見ることはあっても、ほんの短い刻なので逢ったとは言わない。ここ数日激務のため寸暇を問わず働き続ける彼と、まともに話すことすら出来ないのだから。

夕鈴はふとんにくるまった。冷たい寝台に身を縮める。
陛下付の侍女が来たと言うことはまだ陛下は政務中なのだろう。最近の彼の激務ぶりは火を見るよりも明らか。疲れたとか休みたいとか、そんな素振りは一切見せない王様なので、なかなか周囲の臣下たちは彼の心労に気付かない。夕鈴はそのことをとても心配していた。
いつもの彼のいつものこぼれるような眩しい笑顔を思い浮かべながら、夕鈴は目を閉じた。

一国を背負うという重責は夕鈴には想像出来ないけれど、それでも激務に追われる彼の心を癒やしてあげないと…夢の世界に入りかけた夕鈴の脳裏に浮かぶ陛下の顔は、とてもどんよりと曇っていた。

















「滋養強壮に効く薬…ですか?」

夕鈴は、紅珠の甲高い問いかけにこくり…と頷いた。


「それはどなたに?」

「最近お疲れ気味の陛下に差し上げたくて…」

夕鈴は少しだけ気恥ずかしさを感じながら呟いた。


「まぁ…」

途端に紅珠の顔が輝く。


「仲睦まじくてうらやましい…」

ほんのり桜色に染めた美顔を隠すことなく、紅珠はほぅ…と息を吐いた。
夕鈴は咳払いすると、慌てて口を開く。


「あの、別に私が心配して用意しなくてもいいのですが…」

「なぜですの?」

「だって…陛下には優秀な側近もいらっしゃいますし、頭の切れる臣下たちも多数…」

「お妃さま。いくら切れ者でもなかなか陛下のご心労には気付きませんものよ。お妃さまは陛下の唯一のお妃さま。もちろんのことながらお妃さまのご心配は当然のことですわ」

紅珠はきっぱりと言い放つ。
意志の堅さや妃に臆することなく意見を述べるさまはさすがに、名家のお嬢様だ。夕鈴は感心しつつ、素直にそうですね…と頷いた。


「お妃さま。滋養強壮に効果的なのは、お薬だけではありませんものよ」

紅珠はくすり…と笑うと、愉快そうに口元を緩めた。


「?」

「陛下…お疲れなのでございましょう?だったらお妃さまが癒やしてあげてくださいませ」

「私が?私など…何も出来ませんわ」

「お妃さま。お妃さまでしか出来ないこともあるものですわ」

ふふふ…なぜか魅惑的な笑顔を浮かべて迫る紅珠に、夕鈴はたじろいだ。


「な…なんですか?」

「私にすべてお任せくださいませ」




今宵、お薬を届けさせます…結局そう言い残し、紅珠は去って行った。




















「陛下がお呼びにございます…」

夕餉を済まし、すっかりと居間でくつろぐ夕鈴に突然現れた陛下付の侍女が告げる。


「陛下が?」

自分は忙しくて来れないから、私を召し出したのだろうか…夕鈴は苦笑する。


「どうぞお召し替えなさいませ」

「お召し替え?」

夕鈴は首を傾げる。今の服を着替える必要があるのだろうか。


「あの…」

夕鈴が疑問の声を出す前に、侍女たちが着替えの用意をし出す。
ばたばたと忙しく動き出す侍女の傍らで、夕鈴はふと思い付いた。

そういえば…。


「氾家から何か届いておりませんか?」

「もちろん届いております」

夕鈴の質問に、侍女たちがクスクスと笑い出す。


「?」

一体何?


「どこにあります?」

「今ここに…」

「え?」

「お妃さまが身につけられておいでです」

「……え?」

キュッと腰紐が締められる感触。次に、香油が肌にまぶされたのか、鼻孔をほのかに花香が刺す。


「身につけてるって…」

「ご用意整いました」

「この夜着のこと?」

「よくお似合いにございます」

「これは…」

まさか紅珠の届け物ってこの夜着?

どことなく光沢の輝く薄い夜着。全身鏡がないので全貌を窺い知ることは出来ないが、これはちょっと露出が多いのではないか…。


「き…着替えます」

「お妃さま。陛下がお待ちにございます」

「着替え…」

「お急ぎください!」

「でも…」

「お妃さま」

結局、あれやこれやと化粧までされてすっかりと夜着に着替え直した夕鈴は、侍女たちに押され押され、気付くと陛下の部屋の戸口に立っていた。
妃の部屋を出る間際にかろうじて掴んだ羽織を身に纏い、夕鈴は室内に進み出る。


「お待たせをいたしました」

「夕鈴…来たか」

陛下は笑顔で妃を迎え入れるとすぐに左手を上げて侍女たちを下げた。
いつもの展開を心得た侍女たちは無言で拝礼すると、陛下の部屋を後にした。


「夕鈴…」

子犬陛下に顔を戻した陛下は、嬉しそうに手を差し出す。
久しぶりに見た陛下の笑顔は、いつもより眩しく感じて軽く鼓動が跳ねた。


「来てくれて嬉しいよ。こんな夜にごめんね」

「いいえ…」

夕鈴は柔らかい笑顔にほっと息をつく。思ったほどお疲れではないようだ。


「ここ数日、ずっと待っててくれたみたいだね。忙しくて行けなくてごめんね」

「いえ!お仕事ですから。今日はもう大丈夫なんですか?」

「まだ終わってないけど、もう限界。夕鈴と何日まともに話せてないか李順にしつこく言ったんだけど…聞く耳なしだからなぁ」

陛下は一瞬だけ訝し気に顔を崩す。


「私…お仕事の邪魔をしていませんか?」

「邪魔なんて…何言ってるの、夕鈴…」

陛下は苦笑すると、夕鈴の手首を掴んだ。


「切りのいいところまで終わったから大丈夫だよ。それより夕鈴、珍しいお茶が手に入ったんだ。淹れてくれる?」

「はい」

「おいで、夕鈴」

陛下に導かれ、夕鈴は居間でお茶を出す用意をする。ルンルン顔で待つ陛下をちらっと見て、夕鈴は心の底から安心した。


「夕鈴、嬉しそうだね」

「そうですか?」

頬を隠しながら、夕鈴は答える。茶器にお湯を注ぎ淹れると、芳しい香りが室内を満たした。


「それほど私に逢いたかったのか?我が妃は…」

「………はい?」

茶器から視線を外して陛下を見ると、魅惑的な表情で夕鈴を見つめていた。急に変貌した狼陛下に、夕鈴はたじろぐ。


「いつもとは違う香油か…」

いつの間にか伸ばされた手が、夕鈴の長い髪を梳く。さらさらと耳元で流れる音に、夕鈴はぞくり…と身震いした。


「それに…」

陛下が立ち上がる。目線が近すぎて後ずさるしようとする夕鈴の腰を、陛下の腕が捕らえる。

「!?」

「今宵の夜着はいつもと違うな…」

「こ、これは…紅…」

紅珠の名前を出すと機嫌が悪くなることが想像出来て、夕鈴は口をつぐむ。


「どうした?」

「いえ、なんでもありません」

「ふうん」

狼の目が一瞬鋭く光ったような気がしたが、夕鈴は気づかないふりをした。


「……妃よ、そんなに分厚い羽織を纏って、暑くないのか?」

「……」

あ…暑いけど、暑いのは陛下のせいでしょう!…と声を大にして叫びたかったが、陛下の顔が近すぎて上手く声が出せなかった。


「脱いでも構わないが…」

私は構います!
肩に手をかけようとする陛下の手を軽く払いのけて、夕鈴は陛下を睨んだ。いつもより大胆な行為に及ぼうとする狼に、夕鈴は必死で対抗しようと体を動かす。力を入れて体を動かしたが、思った以上に頑丈な陛下の囲いからは逃れることは出来なかった。


「妃よ…久しぶりの逢瀬だ。そう堅くなるな」

「……ちょっ」

抱きしめる腕に力が込められる。ぎゅっと体に絡みつく陛下の腕。陛下の香りがそば近くに流れて、軽く眩暈を起こしそうになる。
夕鈴は苦しくて咳き込んだ。そんな夕鈴の様子に、陛下が少しだけ腕を解いた。


「な…何を…」

「夕鈴、この夜着はどうした?誰からだ?」

「…だれも」

耳元で囁かれて、声が上擦った。
意地悪な狼の行為に振り回されるのはこれで何度目か。心に悔しさが込みあがる反面、なぜか心地良い感覚に頭がぼうっとする。
ふわふわと頭を覆うかすみに腰を抜かしかけた夕鈴を、陛下がすばやく支えた。

目を開けたとき、すっかり子犬に戻った陛下の笑顔が目の前にあって夕鈴はほっと胸を撫で下ろす。


「な…何するんですか!」

夕鈴は憤然と抗議する。陛下は肩をすくめて、ごめんね…と舌を出した。


「こんな意地悪するなんて…」

「だって夕鈴、頑なに言わないから。おおかた氾家の娘からの贈り物かと思うが…」

「な、何のことでしょう…」

犯家と言われてドキッとする。
必死でごまかそうとする夕鈴の羽織の腰紐を、陛下がするりと解いた。夕鈴は慌てて陛下の腕を掴んだが、遅かった。すっかり露になった紅珠からの贈り物の夜着は、夕鈴の想像以上に露出度が高く卒倒しそうになる。

何この衣装…信じられない。いっそ夢であったらいいのに。


「夕鈴…きれい」

「見ないでください!」

夕鈴は手を伸ばして陛下の両目を覆う。だが、そんな夕鈴の行為もすぐに陛下に制される。


「なんで?良く似合ってるよ」

「見ないでくださいってば」

夕鈴は何も纏っていない自らの肩を抱くと、陛下の胸の中に飛び込む。これで陛下の視界に入ることはないはずだ。陛下の胸の中、相変わらずうるさいくらい鼓動は跳ねているが、こんな私を見られるよりはマシだ。
恥ずかしい!夕鈴は、陛下の胸に額をくっつけて、少しでも視界に入らないように身を縮める。


「……夕鈴……それ逆効果」

頭上で陛下が何か呟いていたが、夕鈴の耳には届かなかった。



「わ、私は陛下がお疲れかと思って、薬をお願いしたのに!」

ぼそり…陛下の胸の中、夕鈴が小さく呟く。


「夕鈴?」

「な…なのになんで」

こんな夜着を届けるのよ!夕鈴は心の中で叫ぶ。こんなので陛下の心が癒されるとは思えない。せっかく陛下に元気を出してもらおうと思ったのに、これじゃあ迷惑をかけているだけだわ。
心の葛藤を繰り返す夕鈴の傍らで、何かを納得した陛下がうん…と頷いた。


「なるほど」

「?」

「夕鈴、ありがとう」

「?なんで…私何も役立っていません。陛下がお忙しく働いてるのにお手伝いも出来ずに…」

しーっと陛下が人差し指を夕鈴の唇に当てた。


「大丈夫だよ、夕鈴。そんなこと気にしなくていいのに」

君らしいなぁ…苦笑する陛下を、夕鈴はぽかんと見つめた。


「君がそばに居るだけで…」

「え?」

「いや、氾紅珠も良く分かってるね。あの娘に対する認識を改めないといけないかなぁ」

「?」

「今回はいい仕事したよね」

「はい?」

何を言っているのか全く分からない。
夕鈴は疑問の視線で陛下を見上げた。見上げた陛下の表情は本当に嬉しそうで、夕鈴の胸がぎゅっとなった。














後日。

「お妃さま。陛下、すっかりとお元気になられたようで良かったですわね」

「え、えぇ…。あの、紅珠」

「はい?」

「滋養強壮のお薬ではなく、夜着が届きましたが…」

「あら?間違いなく滋養強壮のお薬ですわ」

「?」

「お妃さま。私、申し上げましたわ。滋養強壮に効果的なのは、お薬だけではありません…と」

夕鈴は大きな瞳をぱちくりとさせる。目の前のあどけない娘が何を言っているのかが、理解出来なかった。
夕鈴が首をかしげる様子を見て、紅珠が声を上げて笑い出した。


「お妃さま!なんて演技がお上手なの…」

ぽんっと手を打って喜ぶ紅珠。夕鈴の頭にはまだまだ分からないことばかり。
演技が上手いのは私ではなく、あの意地悪陛下の方だわ…夕鈴の脳裏に夕べの陛下の行為が浮かび、思わず赤面する。


「本当に…睦まじくておうらやましい!」

な、なんなの一体…。陛下といい紅珠といい…意味分かんない。
結局最後まで、夕鈴は陛下の言葉の意味にも、紅珠の言葉の意味にも気づくことは無かった。










二次小説44弾完
久しぶりのアップです~お待たせしてすみません
今回は、激務の陛下を気遣う夕鈴のお話。久しぶりに紅珠が出てきてやっぱり何か仕出かしてくれます!
このお話を書いてて思ったんですが、うぶで一生懸命な子ってホント可愛いですよね~。陛下はもう夕鈴を手放せないでしょう。悩殺夕鈴の夜着姿にノックダウン寸前でしたしね(笑)陛下の気持ちを総合的に判断しますと、「氾紅珠グッドジョブ!」って感じでしょうか。あ~原作に近いもっとクールな彼を書きたいんですが、ついつい脱線してしまいます。
こんな陛下でもお気に召されましたら幸いです☆



17:39  |  夕鈴片思い編  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2010.12.25 (Sat)

あなたの優しさに包まれて

「あなたの優しさに包まれて」

夕鈴目線の短文。
このタイトルを考えていて、ジブリ映画が観たくなりました。

ではどうぞ。













早くしないと私は…この人に与えられる幻想に本気で傷ついてしまう。

だからお願い。

そんな風に言わないで。

















なんだろう…もやもやする。
完璧に磨かれた床の上、膝をついた夕鈴は、ぞうきんを握りしめる手から力を抜いて大きなため息を吐いた。
床に映った自分の顔は、何やら苦しそうに見える。ため息を吐いた後の暗い表情を固めたまま、夕鈴は胸を押さえた。
心音は正常…だが、昨日から胸をかすかに覆うこのもやもやは何か。

なんだろう…もやもやする。
それに……頭に、焼き付いて離れないのはなぜだろうか。
夕鈴は再度大きく息を吐くと、傍らにあった水桶にぞうきんを放り投げた。

ちゃぷん…乾いた音が室内に響く。
その響きが鳴り終わらぬうちに、がたがたと大げさな足音を奏でて夕鈴の背後から近づいて来る人物。騒々しい足音に混じって、いつかどこかで聞いた鼻歌が聞こえた。夕鈴は目で確認することなく、水桶を手に立ち上がる。


「何か御用ですか?老師。掃除はもう終わりましたけど」

鼻歌の主に向かって尋ねる。


「うむ、そのようじゃな。相変わらずお前さんは掃除が上手いの」

夕鈴の前に現れたのは、見慣れた小さな姿。
たっぷりと重たい白ひげに食べかすを付けながら、ぼりぼりとせんべいをかじり微笑む老師に、夕鈴は怪訝な顔を浮かべた。
さっき磨いた床にせんべいが落ちるのも時間の問題か…夕鈴は半ば諦め気味に、丸顔の老師を遠方から眺める。


「今日も政務室通いかの…」

「いえ、今日は…このまま後宮に戻ります」

政務室と言われて心臓がどきりと跳ねる。すぐに脳裏に浮かぶのは、昨日の陛下の顔。なぜかは分からないが、昨日から…まるで焼き付いたかのように、頭から離れない。

もやもやに加えて胸が苦しくなってきた。呼吸をするのも息苦しいぐらいだ。夕鈴は激しさを増す鼓動に気づかれないように、では…と踵を返した。


「なんじゃ慌てて」

「今朝はちょっと気分が良くなくて…申し訳ありませんが、これで失礼します」

お相手できずにごめんなさい…夕鈴は少し寂しげに見送る老師の顔をあまり見ないようにして、立ち入り禁止区域を後にした。
















昨日からどこかおかしい。
もやもやと…心を覆うこの気持ちは、一体何か。

夕鈴は薄暗い室内で、昨日の出来事を回想していた。
途端に、甘く切ない声が耳に届いて、耳の後ろがざわざわとこそばくなる。夕鈴は軽く頭を振ると、耳の後ろに爪を立てた。爪先が与える痛みを感じながら、それでもぬぐいきれない刺激に眉根を寄せる。

何度となく思い出していたせいで、夕鈴の眉間には、くっきりとしわが刻まれていた。


「どうしちゃったんだろう…私」

声に出すと、夕鈴の全身から鳥肌が立った。その鳥肌が全身を駆け巡った後、夕鈴は耐えきれなくなって寝台に突っ伏した。枕に顔を埋めると、大きく深呼吸を繰り返す。


『君が私の妃だ』

昨日、確かに陛下はそう言った。はっきりと、私の目を見てそう言った。
その目が、その声があまりにも真剣で、本当の言葉に聞こえたから…だから私の心臓は止まりそうになった。体中を伝う震えが制御できず、次の瞬間には腰を抜かしていた。

思い出すと顔が熱くなる。
燃えるような熱が顔中を巡り、さらには夕鈴の心臓を締め付ける。


「……」

昨日のあの瞬間も、心臓が締め付けられそうだった。
陛下と紅珠が触れ合っている姿を見たとき。

あのとき、同時に気づかされたのかもしれない。
私はどこまでいっても、ただの臨時花嫁なのだと。雇われの花嫁、借金というつながりだけで今の私の立場が成立している。
あの人の……歯の浮くような甘いセリフも、妃限定の優しいまなざしも、木漏れ日のような笑顔もすべて、すべて演技だ。

ときどき…勘違いしそうになる。
私はもしかしたら、特別なんじゃないかと。

その勘違いが確信に変わる一歩前で、いつも頑なに拒み続けるのは、まだ自分の心が幼い証拠。

私は怖いのだ。
陛下が与える優しさが。私だけに見せる笑顔が。柔らかな気遣いが。
あの無限の優しさにどこまでも包まれたいと願ってしまいそうで、あの笑顔の傍らでずっと居たいと望んでしまいそうで、そんな浅はかな望みを抱く自分が怖い。

だから今は、嘘でも私は言い聞かせる。
勘違いするな、夕鈴。あれは、寵妃を愛する陛下を演じているだけ。
君がいればそれでいい…だなんて、きっと幻なんだから。偽りという名の幻想、そんな幻想に振り回されるなんて、私の心がきっと許しはしない。


















「夕鈴」

いつもと違い冷たく響く声音に、夕鈴の背筋がぞくりと震えた。


「は、はい…」

夕鈴は用意していた笑顔を作り振り向くと、陛下に微笑みかけた。


「一体どうした?」

「な、何がでしょうか…」

口元に上品な笑みを浮かべながら、夕鈴は手近の花を手折る。その見事に大きな花弁の香りを余すことなく吸い込むと、腕に抱えていた花かごに入れた。

ここは後宮の中庭。
初冬の庭では、大輪の花々が見頃を迎えていた。冬に咲く花たちはどれも皆美しい。夕鈴は微笑みを絶やさずに、陛下からごく自然に中庭へと目線を移した。
今は妃演技中。動揺するわけにはいかない。
そばに控える侍女たちは、目の前の微笑ましい雰囲気を満足気に眺めつつ、にこにこと熱視線を送っていた。その当たり前の風景にほっと胸を撫で下ろすと、夕鈴は新たに花を手折る。
陛下は、しばらく無言のまま夕鈴の不器用な微笑みを眺めていたが、やがて手を差し出して花かごを奪っていった。


「!?」

「君が摘んだ花を部屋に飾って欲しい」

陛下はそう言うと、夕鈴の傍らに立ち、夕鈴に花を摘めと促す。


「は、はい」

いつもと違う行為に少し戸惑いつつ、夕鈴は形の良い花を何本か手折り、陛下が抱える花かごに差し入れた。


「っつ!」

「どうした?」

夕鈴が顔を歪める様子に、陛下が怖い狼陛下の表情に切り替えて尋ねて来た。


「ちょっと…指を」

「葉先で切ったか」

陛下は眉根を寄せながら、夕鈴の血で赤く染まった指先に触れて、口に含んだ。
甘い行為に赤面しそうになるが、夕鈴はじっと耐える。頭の中では、動揺が上手く隠しきれずその結果、集中力が足りずに怪我をしてしまった失敗を、深く反省していた。

失敗、失敗…これじゃ、変に思われちゃう。
夕鈴は赤い顔のまま、怪我をした指先ただ一点を凝視していた。

陛下は夕鈴の指先から血が止まったことを確認すると、手巾を取り出しすっぽりとくるんだ。


「とりあえず応急処置だ。部屋へ戻ったら侍医に手当してもらうといい」

「ありがとうございます」

軽く頭を下げると、まだ心配そうに見つめる陛下を見上げた。
途端に胸が苦しくいたたまれなくなる。昨日、私を追いかけて来た表情と重なるような気がして、顔が熱くなる。


『君が私の妃だ』

陛下は、どうしてあんなことを言ったのだろうか。
私が逃げたから?やっぱり…臨時花嫁が逃げるのは陛下にとって困るから?
つまらない考えばかり頭をよぎる。陛下のそばに居ることで与えられる幻想に、心が貪欲になった証拠かもしれない。

夕鈴は心の中、深く溜め息を吐いた。
こんな私を、私は望んでいない。いつでもどこでも、私の立場は私がわきまえているから。
だからお願い…そんな風に言わないで。

陛下は相変わらず、怪我をした夕鈴の指先に訝し気な視線を送っている。
しばらく視線を送っていたかと思うと、今度は自らが花を手折って花かごへと入れていた。慌てて手を出そうとした夕鈴。陛下は夕鈴を制すると、怪我をしちゃうよ…と耳元でにこりと囁いた。

瞬時に切り替わった子犬の表情に、夕鈴の心臓が跳ねた。

どうしたって、私は陛下にはかなわない。
この苦しい気持ちから解放してほしいと望む一方で、解放された先にある孤独を思うとどうしても手放せない。

この優しさから逃れたくない。


夕鈴は、陛下の胸に手を添えて、着物の合わせ目をぎゅっと握り締めた。


「夕鈴?」

夕鈴の目に、そば近く揺れる陛下の黒髪が映る。次に端正な顔立ちと、澄んだ瞳が見えた。
この近距離で何度も見た陛下の顔。絶対に見ることは出来ない雲の上の人。これから先も見続けることが出来るのだろうか。


「どうした?」

陛下が、手の平で夕鈴の頬に触れた。指先から電流が流れたかのようにわずかな痺れが伝う。
夕鈴は無言のまま陛下の手の平を拒むことなく、そのぬくもりにゆだねる。目を閉じると、もっと深い痺れが全身を覆う。今まで何度も拒み続けたこの痺れ、本当はすべてを受け入れたくて仕方なかった。

夕鈴は頬に触れる陛下の手の上に自らの手を重ねる。
手の平から伝わるぬくもりが、全身の震えを解き放ってくれる。


逃れたくないんじゃない。
私が、逃したくないんだ。

この手をこの微笑みをこの仕草を、そして何より彼自身を…私が逃したくないと熱望している。


「夕鈴」

陛下の優しい声音がまるで子守唄のように、夕鈴の耳に流れた。
意識を手放した後でもはっきりと残り続けるのは、私が逃したくないと願った優しさとぬくもり。
もやもやと心を覆うこの気持ちの“本当”に気づいたとき、私はすべてを受け入れられるのだろうか。


早くしないと私は…この人に与えられる幻想に本気で傷ついてしまう。

でも今は、あなたの優しさに包まれたくて…幻想の中に漂う、本当の気持ちがあることを信じたくて…。



『君が私の妃だ』


あなたがそう望む限り、私は演じ続ける。

あなたの花嫁を。



















二次小説第38弾完了
どうしましょう?両想いじゃないですか、これ。書いていて危ないと思いました(笑)

37弾は原作の3巻第10話を元にしています。原作とは大幅に改ざんして、恋を自覚した夕鈴が、その切なさや痛みに苦しんでいる姿を書いております。恋していることに気づきそうで気づかない、この微妙な心情を描いているドキドキ感が原作の魅力だと思っておりますが…見事に崩しちゃいました。今日は聖なる日ですから、許しちゃってください☆
夕鈴の揺れる心を書くのが難しかったです。恋愛に疎い彼女には苦労させられちゃいます



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2010.09.16 (Thu)

寵花の舞Ⅱ

Ⅰのつづきです。













「食えぬ男だ」

腕組をして椅子に腰掛けた陛下は、大きな溜め息を漏らした。

夕鈴は淹れ立てのお茶を差し出しながら、陛下の表情を覗う。

ものすごく不機嫌なのは言うに及ばない。


狼に反抗する獲物を捕らえきれなかったことに腹を立てているのか。


「先代王の時代から何度か交流のあったお使者ですね…」

使者が退出するのを見送った李順が、部屋へ戻るとすぐに話し出した。


「先日の隣国との縁談話、しつこく話を勧めてきたのは他でもない彼です」

李順は手にした書簡をはらはらとめくる。王室の記録を紐解く手がふいに止まると、李順は顔を上げた。


「まさか…まだ諦めていないのかもしれませんね」

李順の言葉に、明らかに嫌そうに陛下の顔が歪む。


「しつこい男は嫌いだ。何度来られても無駄なことなのに…」

ね、夕鈴。陛下が微笑む。
ね…と言われても困る。私に具申する権利はないのだから。


陛下の笑みにあいまいな微笑で答えた夕鈴の様子に、陛下は急に子犬の表情を浮かべて肩を落とした。


「夕鈴、何なの…そのどうでもいいような返事。僕、ちょっとショックだよ」

「え!?」

何をショックを受けることがあるのか…夕鈴は慌てて立ち上げる。


「ちょっと陛下、何がショックなんですか?私何もしてませんよ?」

同意を求めるために見つめた李順の顔は、期待に反して陛下以上に落ち込んでいた。
上司の渋い表情に夕鈴は動揺する。


「ちょっ李順さんも…なんで…」

「私はあなたではなく、陛下がショックを受けていることに落ち込んでいるんですよ。陛下、夕鈴殿はバイトだということを…」

お忘れなく。呟いた李順の表情が途端に曇る。

見ると、狼陛下が側近に対して厳しい睨みを利かせていた。


それ以上申すな、さもないと…狼の目元が語っていた。


李順はごくりとつばを飲み込むと、そのまま何事もなかったかのように書簡へと目を移した。

静かになった部屋に、紙を繰る音だけが響く。


夕鈴はいたたまれず、陛下のお茶を淹れなおした。


「夕鈴、ごめんね。巻き込んじゃって。どうしてもあの使者が君に逢いたいって言うから」

「いえ、私は大丈夫ですよ。お詫びの品など…かえって気を遣わせてしまったようで申し訳ないです」

「妃への贈り物か。李順、念のため何か細工がしてないか調べておけ」

「御意」

李順はすばやく髪飾りが納められた箱を受け取るとそのまま部屋を退出した。

突然消え去る腕の中の重みに、夕鈴は安堵の息を吐いた。


高価な品をずっと持っているのは緊張する。
誤って落として壊してしまったら大変だ。認めたくはないけど、私には前科があるし。


それにしても…

立ち去る李順の背中を目で追いながら、夕鈴は褐色に染まる使者の顔を思い出す。

来訪の理由は何であれ、ただのお詫びの品にさえ悪意が込められているかもしれないと疑わなければならないこの状況に溜め息を漏らした。


いつになったら、この人が心から安心して暮らせる時世が来るのだろうか。


「夕鈴?」

急におとなしくなった夕鈴に、子犬陛下が首をかしげる。

しまった。
この人に心配をかけるつもりは毛頭ない。

夕鈴はにっこり微笑むと、陛下の方へ向き直った。


「実は、おいしいお菓子をいただいたんです。一緒に食べませんか?」

ごそごそとお菓子を卓に用意し出す夕鈴を見て、陛下が嬉しそうに呟いた。


「いいね」

夕鈴に答えるような形で微笑むと、陛下は椅子に深く腰掛け直す。

「やっぱり、君と過ごす休憩が一番。午後からもがんばろうという気になるね」

「お役に立てて…良かったです」


お菓子をぱくり…
口内を満たす甘い香りに、自然とふたりの顔がほころぶ。


「夕鈴、さっきの使者のことだけど…」

夕鈴の手がふいに止まる。


「贈り物をいただいたからといって、気を許しちゃダメだよ。あの男は、油断ならない…」

どこか遠い視野を見据えながら、陛下は小さく呟く。


「……」

「警戒を解いてはいけない」


ゆっくりと流れ落ちていた砂時計が、突然動きをやめたかのように静寂が満ちる。

その静寂は気づかぬうちに心の奥深くまで浸食して、この人を王という縛りの世界に連れ戻す。


ついさっきまで近くに感じていたはずなのに。

身分の違いよりも、この人を取り巻く環境や立場の違いよりも、王である事実を見せつけられるたび、夕鈴の心を切なく締め付けるのはなぜか。


届きそうで届かない。

でも、近づきたいと思ってしまうのは、そばにいたいと願ってしまうのは、どこかで望んでいるからか。


狼陛下の花嫁で居続けたい…と。















『警戒を解いてはいけない』

陛下の言葉がよっぽど身に染みたのか。次に使者の顔を確認したとき、夕鈴は飛び上がるほどに驚いた。

政務室から後宮へと戻る帰り道。
回廊の途中でばったり鉢合わせ、なんてならないように注意していたはずなのに。

突然前方に現れた隣国の使者に、夕鈴は言葉を失う。

注意して気を配っていたはずなのに、この巨人は一体どこから沸いて出たのか…。



「お妃さま、ご機嫌うるわしく」

あんまりうるわしくない。だが妃笑顔を絶やさずに、夕鈴は近づく使者に会釈した。


「先日の髪飾りはお気に召しましたでしょうか?」

「えぇ…とても」

「お妃さま、実は私、前々からお妃さまとお話したいと思っておりました…今お時間は大丈夫でしょうか?」

「今…ですか」

時間はたっぷりある。なんせお妃バイトを始めてから、有り余る時間をどう過ごすかということばかり考えているのだから。


「いかがでしょうか?」

にっこりと微笑む使者。その表情は端から見たらどこも含む所がない、完璧な笑顔。でも夕鈴の心は、陛下からの警告により陰りを濃くしていた。


「は…い」

仕方ない。とりあえず話を聞いて、さっさと退散しよう。

主導権だけは握られないように、夕鈴は自ら四阿へと誘導した。

ゆっくり腰を据えて使者と対面すると、不思議と政務室で感じた使者の異様な雰囲気はどこにも感じられなかった。
人の顔は案外見慣れるのかもしれない。


「昨日は大層無礼をいたしました。決して、お妃さまに失礼を働こうなどとはつゆほどにも思いませんでしたのに…」

眉根を寄せて苦悶の表情で語る使者に、夕鈴の心が徐々に解かれていく。


「お気になさらないでください」

「いいえ。お妃さまに対して出過ぎた物言いでした。どうぞお許しくださいませ」

「もう気にしておりませんわ」

「…良かった」

使者は夕鈴の言葉に安堵の胸を撫で下ろすと、ほっと息を吐き肩を落とした。


「やっぱりお妃さまは噂通り、お優しい方なのですね」

「いいえ、そんな…」

その噂は一体どこからなのか。前々から気になっていたが中々聞けない。


「それに…陛下の寵愛を一身に受けておられますし…まこと」

おうらやましい…小さく呟いた言葉は、四阿を吹き抜ける風にさらわれて聞き取れなかった。

「?」

「我が姫は、陛下に輿入れされる日を、日一日と待っていましたのに」

急に強張りだした使者の表情に夕鈴の心臓がどきりと跳ねた。

まずい…そう感じた時にはすでに遅し、夕鈴は使者が誘う暗き嫉妬の世界に身を置くことになる。


「お優しいお妃さまに、この胸のうちを聞いていただきたのです」

「……」

私が嫌だと言えば、この使者はすぐにでも立ち去るのだろうか。
お人好しの自分には、そんな真似絶対に出来ないと分かっていて心の中尋ねるのだから、どうしようもない。

夕鈴は深く嘆息した。


「お妃さま、どうかどうか、我が姫を陛下にお勧めしてはいただけませんか?お妃さまからの願いであればきっとお聞き入れいただけるはずです」

「私は…そんな権利はありません」

「姫は…麗姫さまは、決してあなた方の親愛に割って入ることなどなさいません。ただ、正妃になることだけ許していただければ、それ以上は何も望まぬお方です」

「お使者の方…」

呟いた夕鈴の目の奥に、鈍痛が伝わった。


「どうか、お妃さま。我が切なる願いをお聞き届けください」

使者は椅子から立ち上がり、頭を深く下げた。


苦渋に満ちた視線は、何を物語るのか。
巨体を縮め偽物の妃を敬まう仕草で、何を勝ち得ようとしているのか。

届かない思いであると知りながら、それでも願わずにいれない思いを抱え、妃に助力を求める使者。


届きそうで、届かない。でも、近づきたいと思ってしまうのは、そばにいたいと願ってしまうのは、どこかで望んでいるから。


この使者も私と同じだ。



頬を伝う暖かいぬくもりに、しばらく気づくことはなかった。

その水滴が自らの手の甲にぽとり…と落ちたとき、夕鈴は始めて涙を流していることに気づく。



「ごめんなさい…」

口をついて出た言葉は謝罪。

どうして、私はこれほど傷ついているのだろうか。



四阿を通り抜ける風が夕鈴の髪を揺らす。使者の着物の裾も同じようにはためかす。


その流れを目で追う視界がふいに遮られ、夕鈴ははっと意識を取り戻した。

涙を溜めた瞳に映る影。それは、陛下の姿だった。


「へ…いか?」

「夕鈴」

陛下は耳元で囁くと、夕鈴の体を抱きしめた。そのぬくもりがゆっくりと体を蝕む途中で、夕鈴はほっと息を吐いた。陛下という存在が安心となって全身を包む。


心の底からそば近くにある大きな存在に触れ、また涙が流れた。


夕鈴は陛下の背中に手をまわし、力の限りきつく抱きついた。




「妃に…何を申した?」

凍てつく空気に、四阿を取り囲む空間が震えた。

ひどく冷たい外気に、体がこわばり自由がきかなくなる。
夕鈴は陛下の腕の中、血も凍るような空気に身を縮めていた。


「私は…」

使者の吐く息が白く濁って見えるのは気のせいだけれども、感じる恐怖は同じであろうか…。


「我が妃に何を申した?」

「申し訳ありません。少し…お願い事を…」

しておりました…かすむ声が震える。怖いもの知らずのこの使者でさえ、陛下が放つ空恐ろしい恐怖には耐えられないようだ。

しなだれるように地面にひざをつくと、がっくり肩を落とした。


「では私に申せ。陰でこそこそ妃に頼み事など、使者でなければ…それこそ斬り捨てていよう」

陛下の吐く残酷な言葉、これほどそば近くで聞いたのは初めてだ。
いつまでも狼陛下に慣れない私に気を遣って、私のそばでは控えている…と聞いていたのに。


「どうやら命を粗末にしたいらしいな?」

「とんでもない」


「やめてください」

「夕鈴?」

涙をぬぐい、私は陛下を見上げた。

私のために…面倒ごとを招いてはならない。


「少し頼まれておりましたが、私には無理でした」

「……」

夕鈴は陛下の背中に廻した腕を解いて、半身だけ使者に向かう。
見つめた使者の瞳は、脅えおののいていた。褐色の肌がいつしか青ざめる。


「お使者の方…私にはその願いお聞き届け出来ませんわ、申し訳ありません」

「いいえ…」

使者は一言だけ呟くと黙ってしまった。


「下がれ」

使者は最後にふたりに礼を取ると、四阿から立ち去って行った。
後に残ったのは、いつもの陛下と、すっかり涙の乾いた夕鈴。




「夕鈴。警戒を解くなといったはずだ…」

時を置いて耳を貫いた言葉は、夕鈴の心の深層まで届く。

その言い回しは狼陛下のそれだったが、夕鈴には驚くほど優しく伝わった。


「すみません」

「怒っているわけではない。ただ…君が心配だ。君は…優しすぎるから」

「優しくなどありませんよ」

陛下の腕の中にいるだけで、自然と狼陛下の口調も夕鈴の耳に心地よくなびく。


「私に頼んだところで意味のないことなのに…それでも願わずにはいられないあの使者のことを思うと、心が痛むだけです」

「やはり君は優しすぎる。君が心を痛めることなど何一つ無いのに…」

「それは…」

無理ですよ…夕鈴は笑った。

狼陛下の花嫁を演じ続けると決めたあの日から、心を厭うわずかな気持ちから目を反らすことなど出来なかったのだから。


「じゃあ私は、君の痛みを取り除くために何をしたらいい?」

「……」

「君の笑顔を常に見ていたいために、どうしたらいい?」


こうして、そばに居てくれたら。抱きしめていてくれたら。
そんな贅沢な事、偽物の妃にはやっぱり言えない。


「いつも通りの陛下でいてください」

「それだけ?」

「はい」

夕鈴は微笑んだ。花の笑顔で。


「この仕事を続けると決めたのは私ですから。陛下は見守っていてください」

私の精一杯のわがまま、聞いてくれるだろうか。


「ダメ…ですか?」

「ううん。夕鈴が望むなら、君をいつでも見守るよ」

「ありがとうございます」

「でもやっぱり、時には頼ってほしい」

「陛下…」


「僕は、君の力になりたいんだ」

真剣な眼差しで囁く言の葉は、真っ直ぐ夕鈴の心に届く。


君の力になりたい…


そう、私も思っていた。ずっと以前から。




「私も、あなたの力になりたいです」














二次小説第21弾完了です

使者の登場で、ふたりの関係に進展を!とゆーことで書き始めましたが、思った以上にせつない終わりになってしまいました。
使者を悪役にしてしまい、少し可哀相だったかなぁ。
次回は明るくしたいです!

お付き合いありがとうございます




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