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2011.10.09 (Sun)

秋の夜長に

「秋の夜長に」

スポーツの秋ですね。「体育の日」が近いということで、ちょっとパラレルな感じに仕上げてみました。
夕鈴目線で、やたら長文になってしまいました。


ではどうぞ。














日もすっかり短くなり、肌寒さを感じるようになったこの頃。
ここ白陽国王宮でも、朱色に染まる紅葉が一面に姿を現し、めっきり秋らしさを増していた。


「季節はすっかり秋だね…最近なんだか眠いよ」

夏より一変して色を変えた庭園を見て、陛下が呟く。


「そうですね、でもお仕事中は寝ちゃダメですよ」

「君が政務室に居る間は、睡魔に襲われることはないんだけどね…」

得意顔である澄ました表情を浮かべ、陛下がすっと手を伸ばして来た。行きつく先はお馴染みである、夕鈴の長い髪の毛。一房手に取ると、笑みを浮かべた薄い唇に当てた。


「最近は…掃除婦バイトに専念してる…とか?」

じとりと纏わりつくような視線と同時に、めいいっぱい拗ねた態度を出す陛下に、夕鈴はまたか…と肩を落とす。最近の彼は、ことあるごとに拗ねる、わがままを言う、困らせる、の繰り返しだ。しかも狼陛下の演技中に。まるで私の反応を見て楽しんでいるかのように…。
夕鈴はそんな陛下の思惑になど、ひっかかるものか!とばかりに目を吊り上げると、陛下をきつく睨み返す。途端に子犬に早変わりした陛下が、手を前に出して降参のポーズを取った。


「ごめんごめん、そんなに怒らないで。僕の正直な気持ちなんだから」

「………最近、政務室に行かないのは、政務室が穏やかだからですよ。せっかくいい雰囲気でお仕事されているのに、わざわざ妃が姿を見せて場の雰囲気を壊したくないからです」

夕鈴は、息つくことなく言い終えると、陛下の顔を真正面から見つめる。
きっと大否定されるかと思ったが、予想に反して陛下は無言のままであった。一言も発せず何か深く考えているような姿に、夕鈴は怪訝そうに見つめ返した。


「陛下…?」

熟考する彼を前に、夕鈴までも言葉を失う。


「穏やかね…なるほど……。何かあったら、君は来てくれるんだ?」

にやり…狼の口元が楽しげに緩む。


「は?」

なんか嫌な予感がする。自慢じゃないが、夕鈴の勘は変なところで抜群に当たるのである。ここは早めに釘を刺しておかないと。
夕鈴はぎゅっと拳を握りしめると、今思いついたであろう陛下の困った考えを改めさせるべく口を開いた。


「穏やかに越したことはありませんよ!平和なのは良いことです」

「確かに、平和なことは良きことだ。だが、刺激のない日常というのもつまらない。定期的に臣下の士気を上げるためにも、イベントは必要だね」

「イベント!?」

突然の単語に驚く夕鈴。そんな夕鈴に笑いかけると、陛下は彼女の両手を取って握りしめた。


「ちょうど季節も良い頃合。絶好の運動日和だ」

「え?……な…なんです?」

不可思議な言葉と態度に翻弄され、夕鈴の鼓動が大きく跳ねる。


「あ、あの……?」

動揺する夕鈴に不敵に笑いかけると、狼の口元が大きく開かれた。


「王宮運動会を開催する」










陛下の提案で、王宮運動会を開催することになった王宮。

急きょ王宮内に設けられた競技場を遠い目で見つめる夕鈴の脳裏には、なぜこんなことになったのか…そればかりが、ぐるぐると回り続けていた。
隣には、夕鈴とは対照的に闘志を燃やした狼が一匹。
頭に白いはちまきを巻き、運動会さながらきっちりと運動着を着込んでいる。普段の、身動きが取りにくそうな格好でも十分に身軽な陛下だったが、今日の彼は一層身軽に見えた。足を蹴り上げただけで、空高く舞ってしまいそうなほどだ。


「夕鈴。その格好、かわいいね」

こそっと耳打ちされて、意識がはっきり戻った。
彼の声は刺激的過ぎて、急に間近に聞くには、いろいろと心の準備が必要になる。夕鈴は赤面顔を隠しながら、ありがとうございます…と小さくお礼を述べた。

夕鈴の格好も陛下と同様、頭に白いはちまきを巻き付け、運動着を着込んでいた。陛下とおそろいなのにはそれなりの理由がある。夕鈴と陛下は同じチームなのである。


「絶対紅組には負けないからね。夕鈴、ファイトだよ」

「は、はい!」

夕鈴は陛下のお妃ということで、陛下率いる白組であった。対する紅組とは、陛下の側近をリーダーとするエリート臣下集団である。チームメンバーを聞いただけで負けてしまいそうな迫力だったが、こちらも負けるわけにはいかない。
こうなった経緯はなんであれ、勝負に負けるわけにはいかないわ!火の付きやす性格の夕鈴。案の定、陛下と同様めらめらと闘志を燃やしていた。


チーム国王vsチーム側近。

王宮大運動会のはじまり、はじまり。




1回戦。

短距離走。




最初の競技は、長く続く回廊の短距離レースだ。


「夕鈴、がんばって!」

子犬陛下の激励が飛ぶ。


「ま、任せてください!」

固く拳を握りしめ熱く誓う夕鈴。激励を背中に受け、いざ尋常に勝負の舞台へ立つ。
こういうイベントにはめっぽう熱くなるタイプの夕鈴である。しかも妃であるにもかかわらず、庶民のときのように自由奔放に振る舞えるなんて、よくよく考えたらこんな楽しいことはない。

俄然やる気が沸いてきた。


対戦相手は誰だろう…と、相手チームを見やる夕鈴の目がはっと見開かれる。


あれは…。

「……柳方淵」


間違いなく柳方淵。のっけから最強の刺客を放つ側近チームに、夕鈴は苦虫を噛み潰した。
夕鈴のしかめっ面にも勝る怪訝な顔で、方淵がじとり…と慇懃な視線を投げて来た。


「ふん!どうやら白組は勝つ気がないようだな」

夕鈴と視線が合ってすぐ、容赦ない言葉攻撃が飛んでくる。久しぶりの攻撃に、不覚にも懐かしさを感じてしまった夕鈴。長く行かなかった政務室に少しの寂しさを感じていたのは本当。しんみり…と言葉を聞き入ってしまって、なかなか反論出来なかった。

しまった!!!
慌てて抗議しようと口を開けかけたが、はたと止まる。


そうだ、私には秘策がある。
ここで言い返しては、秘策がバレてしまうわ。

夕鈴は内心の思惑を心の内に留めながら、方淵の嫌味をさらりと受け流した。
不気味な微笑みを浮かべ笑う夕鈴の様子に、方淵の嫌味も早々に収まる。ふん!と鼻を鳴らすと、スタート地へと立ち去ってしまった。


回廊は幾重にも折れ曲がっていて、行き届いた手入れのおかげでピカピカに保たれていた。

そんな回廊を走ると、もちろんのこと滑る滑る、そしてこける、それを繰り返し最後には負ける。


だけど私には秘策がある。

スタート地に立った夕鈴は、目の前の敵に向かって不敵に笑いかけた。


「この勝負…もらったわよ!」

「ふん、口だけは達者だな」

負けじと言い張る彼も、相当な負けず嫌いであった。





「よーい!スタート!」


合図と同時に一斉に走るふたり。

最初の曲がり角。
普通なら滑る床であったが、夕鈴は走りにくい靴を脱いで、素足になっていた。これなら摩擦で滑らないし、急カーブにも足を取られることはないだろう。
ふふふ、悪いけど置いていくわよ…勝利を確信した夕鈴は徐々に加速する。下町時代に鍛えた健脚には自信があった。念のためちらりと方淵を見たが、彼も夕鈴と同様に滑ることはなかった。

目をみはる夕鈴。


「!?」

え?嘘!?まさか…悪い予感は当たるものである。
方淵も靴を脱いで素足で走っていた。持ち前の運動神経をフルに使い 曲がり角からスピードを上げ、一気に夕鈴を抜き去って行った。

先にゴールしたのは、もちろん柳方淵。

肩でぜいぜい息する夕鈴に向かって、相変わらず慇懃無礼な言葉が掛かる。


「まったく…一介の妃妾がこの私に勝てるわけなかろう。どこまで陛下の威厳に傷を付けたら気が済むのだ。そもそもなぜ私が国王チームじゃないんだ…」

ぶつぶつと方淵の文句が降り注がれる。


「……」

長くなりそうなんで、夕鈴はさっさと陛下の元へと戻って行った。



「すみません陛下、負けました」


あぁ!くやしい!柳方淵に勝負で負けるなんて。


「夕鈴、かっこよかったよ。僕、感動しちゃった…」

きらきらと瞳を輝かせて答える陛下。


「でも負けました」

「そんなのいいんだよ。君は精一杯走り抜けた。素晴らしい完走だったよ」

優しい言葉に慰められ、夕鈴の心は晴れる。
落ち込んでなんて居られない、運動会は始まったばかりなのだから。改めて気合を入れ直す夕鈴の耳に、王宮内アナウンスが流れた。


「2回戦は料理対決です」

「料理!!!?」

運動会とはかけ離れたアナウンスに、狼と兎、ふたり顔を合わせて見つめ合った。









2回戦。

料理対決。



「料理かぁ…僕の出番じゃないね。夕鈴、がんばって」


「はい!って料理?なんで運動会で料理なの?」

疑問いっぱいの気持ちを抱えつつ、なぜかすんなり受け入れた陛下に戸惑いつつ、仕方なしに相手チームに視線を投げた。


相手は…誰?

不気味な笑い声が背後から聞こえて、同時にどす黒い闇がじわじわと足元から這い上がってきて、夕鈴は身震いした。



「ふふ…私に勝負を挑もうなんて百年早いですよ」

この声は…。

振り返ると、案の定誰よりも怖い上司が立っていた。
2回戦目にして、大将の登場に息を飲む。李順が放つまがまがしいオーラに夕鈴の顔色が変わった。

これは…勝ち目ないかも。迫力上司の登場に、うなだれてため息をつく夕鈴。


「大丈夫、夕鈴。君の料理は美味しい。自信を持て」

青ざめた夕鈴の肩を優しく抱く陛下の目は、自信で満ち溢れていた。何を根拠に言ってるのかは知らないが、陛下の力強い声を聞くと、不思議と自信が溢れてきた。


「陛下…」


そうよね。この数ヶ月で私、確実に腕を上げてる。側近なんかに…側近なんかに……負けるわけにはいかないわ!負けるわけ……。





……甘かった。


がっくりしなだれる夕鈴の傍らで、得意顔の李順が立っていた。メガネのふちに手を当てて、ため息をついている。


「まぁ予想通りの結果でしたが、もう少し奮闘されるかと思ってましたねぇ」

などと嫌味をかまして立ち去る李順の背中に向かって、夕鈴は舌を出す。

超人的な技の前に、すぐに勝負が付いた。味自体に大差はないが、パフォーマンスに負けた。


恐るべし、狼陛下の側近。




「すみません…」


もうぐうの音も出ない…肩を落とし落ち込む姿に、子犬陛下の優しく柔らかい声がかかる。



「そんなに落ち込まないで。僕は夕鈴の料理の方が美味しかったよ」


でも…。

陛下以外の審査員はみな李順に点をつけた。私、これでも女子なのに、情けない。



「次、挽回しよう」

「でも二連敗です、もう勝ち目が…」

「大丈夫」

にっこり、子犬の微笑みに癒される夕鈴。
この人の笑顔を見ていると、なんとなく大丈夫な気がしてくるのはなぜかしら…?これぞ王様の余裕ってやつ?

陛下の笑顔をまじまじと眺めながら、ぼんやり考え込む。すると、急に腕が伸びてきて体を引き寄せられた。


「そんなに見つめられると、触れてしまいたくなる。君のそれは…わざとなのか?」

おきまりの妃限定の笑顔で、長い髪い遊ぶようにして触れてくる陛下。さらさらと髪を梳く音色が耳近く流れて、夕鈴の鼓動は大きく跳ねた。

「ななな…何のことです」

「私を誘惑する目だ」

「は!?」

誘惑なんてしてないし!むしろそんなのしたくないわ!急に狼陛下に変貌して甘いセリフを連呼する彼に、夕鈴は真っ赤な顔で怒声を上げた。

「演技はやめてください!」

「演技ではない………君のそれは演技か?だとしたら…私はショックだ」

狼陛下のまましょんぼり肩をうなだれる。


「演技する余裕なんてないですよ、変なこと言ってないで競技に集中してくださいよ」

王宮運動会はまだまだ始まったばかり。
拗ねる陛下の相手をしている場合じゃないわ!


「夕鈴…」

「集中ですよ!陛下。次こそは勝ちます」

「………うん」










3回戦。

楽器対決。


「楽器…!?」

もはや運動会でもなんでもない。しかも…悠々と待ち構える対戦相手を見て、夕鈴はまたも肩を落とした。

氾水月。いわずと知れた琵琶の名人である。かなうわけない。

覚えたばかりの二胡を手に、とぼとぼ競技台に行こうとする夕鈴を、陛下が制した。


「?」

「これは…預かろう」

夕鈴の手から軽やかに二胡を取ると、陛下がおもむろに奏で出した。


「……へいか」

なんて…なんて。


「きれい…」

澄んだ音色が響く。すっかり紅葉が満ちた王宮の庭園で、春と勘違いした花々が、鮮やかにほころびだすかのように…。
陛下の手が紡ぎだす繊細な音はまるで、水を称えたせせらぎのようで、その場に居る誰しもが心を奪われた。

演奏がやむと、溢れんばかりの喝采が王宮内をこだました。


「陛下…二胡、弾けるんですか」

胸を押さえ多少興奮気味の夕鈴が、弾き終わった陛下を迎えた。


「たしなむ程度だけどね、今日は上手く弾けたような気がするよ」

君が聞いていてくれたからかな…嬉しそうに答える陛下に、夕鈴もつられて嬉しそうに頷いた。


「とっても綺麗な音でした」

夕鈴はほうっと息を吐くと、陛下の手から美しく奏でられたばかりの二胡を受け取る。同じ楽器なのに、弾く人が違うとこうも違うのか…。心の中で、夕鈴の音楽の先生である、寧先生に謝った。


「私なんてまだまだで…陛下ぐらい上手に弾けたら、と思います」

しんみり答える夕鈴の両手を掴み、陛下が優しく微笑んだ。


「私は君の音が好きだ。君が弾いてくれた音は、いつまでも私の心に残っている。本当は君の音色を聞きたかったが、私以外の誰にも聞かせたくはなかった」

「!?そ、そうですか…」

またも突然の甘い演技に、夕鈴の顔がすぐに朱色に染まった。好きだ…なんてそんなふいに言わないで欲しい。


「これからも、私のためだけに奏でて欲しい、夕鈴」

「は、はい…」

なんとか愛想笑いを浮かべると、夕鈴は陛下の手を解いた。


「相変わらず、初々しいことだ」

満足そうに笑いながら、陛下が夕鈴の腰を寄せる。


「へ、陛下!人が見てますよ…離してください」

近い距離に激しく波打つ鼓動を聞かれないように、夕鈴はこそこそと早口でまくしたてた。


「人が見てるからいいんだよ」

「…そんな」

それはもっともだが、多数の視線がいたたまれない。しかも、やたらと睨んでくる方淵の視線がぴりぴりと痛い。


「離してくださいよ、競技中ですよ」

陛下はちぇっ…と舌を出すと、名残り惜しそうに夕鈴の拘束を解いた。離れていく手に、ほっと安堵を息を漏らす夕鈴。

まだまだ狼陛下は慣れないわ。



陛下の演奏を前に、氾水月は試合を放棄した。というか、甘くてやたらと長い夫婦演技に退屈し、早々に帰宅したそうだ。なんとも彼らしい潔さに、夕鈴はお腹の底から笑っていたが、対する陛下は不機嫌そのものであった。







4回戦。

障害物リレー。

やっと運動会らしくなって来た。勝負は白組劣勢。ここでなんとか挽回しないと。はちまきを巻き直し、夕鈴は固く拳を握りしめる。


「どんな障害物もどんと来い!」

高らかに宣言する夕鈴の傍らで、陛下がのんびり言い放つ。


「次はチームプレーだよ。一緒にがんばろうね」

「はい!」









ってなんでこうなるの!?

自分の置かれる状況に深く困惑する夕鈴。


「チームプレーって……」

遥か真下に見える地面を見つめながら、夕鈴は今日一番深くため息を吐いた。
なぜか空に浮いている足が、ぶらぶらと所在なげに揺れている。


「夕鈴を抱きしめて走れるなんて…役得だなぁ」

「なにが役得ですか」

お姫様だっこされている夕鈴。相手の王子様はもちろん陛下である。


「最後まで君を落とさずゴール出来たら優勝だ」

「誰ですか!こんな競技を考えたのは。普通の運動会じゃないですよ」

口を尖らせて怒る夕鈴の傍らで、愉快そうに笑う陛下。対照的な態度に思わずイライラが募る。


「なんで笑ってるんですか」

「まぁまぁ、そんなに怒らないで。正式な競技なんだから、仕方ないよ」

「考えたの誰なんですか!審判にもの申す!!」

「ちょっと落ち着いて。妃が抗議なんて…前代未聞だよ」

陛下の言葉に口をつぐむ夕鈴。悔しいけど、お給料をもらっている以上、抗議するなんて出来ない。妃の悪評は、そのまま陛下につながる。


「でも、そうだなぁ。それも面白いかもね」

ふふふ…心底楽しそうに笑う、子どものような姿に気をそがれて、夕鈴は怒りを鎮めた。


「怒りませんよ。こうなったら、最後まで戦い抜きます」

「そうそう、その調子。チーム戦は2ポイント。1位でゴール出来たら、白組の勝ちだね」

「はい!」

勢いよく答えるのは白組だけではなかった。隣で準備する相手チームも同様に士気を挙げていた。
対戦相手は、氾紅珠。抱きかかえているのは、父の氾史晴であった。


「お父様。なんとしても先にゴールして優勝はいただきですわ!」

「もちろんだ、紅珠」

息の合った親子の様子に、夕鈴は唖然とする。親子が見せる意外な一面に、驚きを隠せない夕鈴。
どうやら氾家の人間は、勝負事に熱くなるタイプらしい。水月を除いて。

そういえば、春の宴の折も大臣同士で諍いを起こしていたっけ。
さほど古くない記憶を呼び起こしつつ、夕鈴はテンションの高い氾親子を眺めた。


「お妃さま!ゴールでお待ち申し上げていますわ。優勝した暁には、ぜひもう一度氾邸へ遊びにいらしてくださいませ」

「え、えぇ…」

「ずっと滞在していただいてもいいのよ。そうすれば一緒に居られますわ。ねぇ、お妃さま」

「それは…賛同出来ないな」

ひゅーっと冷たい風が通り抜ける。肌寒さを増した外気に、夕鈴は肩をさすった。
冷酷非情の名を持つ狼陛下の降臨に、息を飲む夕鈴と紅珠。氾大臣だけは、まったく意に介していないようであった。


「そう何度も妃を捕られるわけにもいくまい」

陛下は細い目で紅珠に視線を送ると、夕鈴を抱きしめる腕に力を込めた。先日、喧嘩して家出した夕鈴が、紅珠の邸宅へ行ったことは記憶に新しい。多少そのことを引きずっていた陛下は、ここぞとばかりに紅珠をじとりと睨む。


「へ、陛下。紅珠を睨まないでくださいよ」

「だた、見てるだけだ」

「怖がってるじゃないですか!ってゆうか怖いんです」

「夕鈴。君はどちらの味方だ…?」

「は?何言ってるんですか」

「……」

陛下は黙したまま、夕鈴の無垢な瞳を見つめる。
分かっていたことではあったが、心に受けた痛手に少し傷つく陛下。


「君は…いや」

「?」

「とにかく今は、がんばろう」

「はぁ…」

意味分かんない。
陛下の気持ちにいっこうに気付かない夕鈴は、陛下の不可解な態度に疑問ばかりを浮かべていた。








「よーい、ドン!」


スタートと同時にめまぐるしく駆けていく景色。

は、早い…。
周囲の景色を確かめることも出来ず、夕鈴はただ猛烈なスピードに身を寄せるだけ。


「夕鈴!しっかりつかまってて!」

「は、はい!」

振り落とされないように、陛下の首に手を回しがっちりと掴む。
視界が何度か反転しかけるたびに、目を閉じてぎゅっとこらえた。時々聞こえる、多数の声援に囲まれながら。




ゴールしたことに、なかなか気付けなかった。

何度目かの陛下の呼びかけに、ゆっくり目を見開く夕鈴。目を開けると、心配そうに見下ろす陛下の顔があった。


「陛下?」

こくり…と頷くと、安堵の表情を浮かべ、陛下が膝を落とした。


「気分は悪くないか?」

「大丈夫です。ゴールしたんですか?」

「あぁ」

陛下は優しく微笑み掛けるように、夕鈴の手を取り起き上がらせた。
いつの間にか勢揃いした紅組チームが、陛下同様に夕鈴を心配そうに覗きこんでいた。


「我々の勝ちだ」

にやりと微笑む陛下の隣には、苦虫を噛み潰したかのようにしかめっ面の李順と柳方淵。このふたり…やっぱり似てるわね、思わず込みあがる笑いを抑え切れない夕鈴であった。














「面白かったね~」

すっかり衣服を着替えいつもの王様スタイルに戻った陛下が、お茶を片手ににこやかに言った。視線の先には勝ち取ったばかりの優勝トロフィーと、記念に撮ったツーショット写真。
僕の宝物だなぁ…と嬉しそうに答える様子に少し赤面しつつ、夕鈴が咳払いした。


「もうこんな競技はこりごりですよ、全然運動会じゃないです。しかも水月さん、棄権してたし…」

「氾水月が棄権しようがしまいが、僕たちが優勝したことに変わりない。確かに風変りな運動会だったけど、僕は楽しかったよ」

夕鈴はどうなの?と子犬に尋ねられて、夕鈴もこくりと頷いた。


「楽しかったですけど…」

「やっぱり!じゃあまたやろうよ、僕、また君と一緒に走りたい」

「あれは一緒に走ってるんじゃないです!」

思い出してしまって顔が高揚する。高鳴る鼓動を聞かせまいと、夕鈴は大げさに声を荒げた。


「……一緒だよ。君は僕の妃なんだから…どんなときも共にあるべきだ」


いつのまにか握りしめられた手は熱く、夕鈴の頬も熱く染まっていった。














二次小説第61弾完了です

すみません、もうこの一言です。久しぶりの小説なのに…。

こんなのアップしていいのか!と思いましたが、せっかくなので(笑)
少しでもお楽しみいただけたら幸いです。ラブラブ夫婦は書いていて楽しいです。一方的に陛下に困らされている夕鈴を書くのも見るのも好きです
王宮運動会、ラスボスは氾大臣でした。李順は側近で陛下の理解者なので、敵チームにはしたかくなかったのですが…夕鈴との料理対決をどうしてもさせたく、こんなチーム割り振りになってしまいました。王様チーム(白組)に入りたかったであろう柳方淵は、書いてて面白かったです。たぶん陛下崇拝者なので、白組が良かったのではないかと。
こんなパラレルな感じ嫌いじゃないよ!という方は拍手お願いします。
ありがとうございました


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2010.08.10 (Tue)

目が覚めたら思い出すようにⅡ

Ⅰのつづきです。









女官仕事は結構大変だ。

宮中内での仕事の多さにも驚いたが、その働きぶりにも驚かされた。彼女たちは皆そろって優秀で、あまたの候補の中から選ばれて来たことは明らかだった。

皆それぞれ職を与えられ、職務を全うする。

小明のような下っ端の女官であれば気が楽だが、陛下や妃付きともなれば重責であろう。

夕鈴は、選りすぐりの女官たちの才を見るたび、中途半端な妃役の自らに落ち込んだ。

彼女たちのように持って生まれた優美さは欠片もないし、教養も特別高いというわけでもない。容姿端麗とはほど遠く、お妃言葉はただいま勉強中…。

それに…なんといっても夫婦演技に慣れない。狼陛下の臨時花嫁を始めてそれなりに経つが、いまだに陛下の見せる甘い表情に心臓が跳ね、赤面する始末。


本当に…落ち込んじゃう。


夕鈴はとぼとぼと回廊を歩く。さっき先輩から指示された水差しを政務室へ持っていくために。

夕鈴が歩く回廊も手にした水差しも、いずれも見覚えのあるものだ。今、私がいるこの後宮も間違いなく、私が生活していた場所なのだが…


陛下がいない。


もちろん李順さんも。あの嫌味な柳方淵も、おせっかいな張老師も。


誰も私をお妃さまとは呼ばないし、名前を呼ばれることもない。


夕鈴…優しく私の名を呼ぶ陛下の笑顔が目に浮かんで、回廊の途中で歩みを止めた。


ここは確かに白陽国で、見慣れた景色は何ひとつ変わらないはずなのに。


こんな夢、さっさと覚めて欲しい。


堅く目を閉じると、また視界が歪んだ。


水差しを持つ手が震える。


「陛下…」


夕鈴の目に涙があふれた。

誰か…私はここにいるのに、誰も私に気づかない。




「何を泣いている?」

「!?」

突然掛けられた声に夕鈴は慌てて振り返った。
あまりに慌てていたので、水差しを落としそうになったがなんとかこらえる。

夕鈴は、周囲を見渡して声の主を探した。回廊の途中の階段のそばに、声の主はいた。

男の子がひとり、夕鈴を見ていた。歳の頃はだいたい11、12歳ぐらいか。幼い顔立ちにかかる漆黒の髪、子供のようなあどけない表情であったが、瞳だけは暗く冷たく、真っ直ぐ夕鈴を見つめていた。

立ち居振る舞いは隙がなく、よく見ると顔に似合わず重厚な長剣を傍らに携えている。


「……」

この少年は…まさか。夕鈴の身が震えた。


「若君さま」

少年の後方から官吏衣裳を纏った若い青年が現れ、夕鈴の思考は中断した。


「陛下がお呼びするまでこちらでお待ちください」

少年は現れた官吏に鋭い視線を送ると、分かった…と一言呟いた。夕鈴は、立ち去る官吏の背中を目で追う少年の横顔を眺めた。

この方が噂の珀家の若君。
似てる、陛下に。

陛下の兄弟かしら?でも聞いたことないし。じゃあ陛下の親戚の子…かな。いや…違うわ、もしかして。


「で、お前はここで何をしている?」

「わっ私は…水差しを運んでいます」

急な問いかけに夕鈴はまた慌てた。上擦ったような声を出した私に少年の訝し気な視線が注がれる。


「何を慌てている?落ち着きがないのか…」

偉そうな物言いに少しむっときた。可愛らしい顔をしているのに残念だ…夕鈴は心の嘆きを顔に出した。途端少年の表情が曇る。


「質問を変えよう、お前はなぜ泣いている?」

乾いてはいたが、夕鈴の頬には涙の筋がくっきりと残っていた。夕鈴は慌ててその痕跡をぬぐうと、少年の冷たい視線を真正面から捕らえた。


「なんでもありません」

「なんでもないのにお前は泣くのか?弱虫だな」

弱虫…。久しぶりに言われた。

もし私が本当に弱虫なら、この奇怪な状況にこれほど順応していないだろう。夕鈴は心の底でそっと呟くと、慇懃な少年の態度に怒りを込めて言い放つ。


「誰が弱虫ですか。泣いている人すべて弱虫だと思ったら大間違いです!」

人差し指を立ててビシッと少年を差す。このポーズはもう夕鈴のおきまりになっていた。

どこに居ても、どんな状況でも、私は私の性格を改める気はない。どんな相手でも失礼な人間には反論するのは当たり前だ…夕鈴は堅く決意し直した。


しばらく呆然としていた少年の瞳が大きく開かれたかと思うと、苦笑する声が聞こえた。


「笑いごとではありません!」

「いや、すまない」

怒られるかと思ったが、笑われてしまった。しかも謝られてしまった。

少年は懸命に笑いをこらえながら、私の顔をまじまじと見つめている。


「後宮女官か、名は?」

「夕鈴と申します」

夕鈴はとりあえず軽く拝礼した。もし彼が未来の陛下ならば、今は王子という立場であるはずだ。これ以上の無礼は良くないこと、いくら私でも分かる。


「夕鈴か…」

私の名を囁く少年の顔は、やっぱり陛下に似ていた。
こうして近くで話している間も、少年を包むピリピリとした緊張感はずっと継続していて、もし夕鈴が一矢報いようと身を乗り出したとしてもすぐにかわされ反撃されてしまうであろう。幼くても、獣のような気配を醸す少年にぞくりと背筋が凍えた。

小さくてもやっぱり…狼陛下。


「あなたの名前は何ですか?」

私の質問に少年の顔が強張る。夕鈴はその表情を見て、まずい聞き方だったかと後悔した。王宮の礼儀はよく知らないが、身分の高い人への名前の聞き方は良く分からない。


「失礼しました。えっと、お名前を教えていただけますか?」

夕鈴は言い直した。あんまり変わらない尋ね方に内心焦る。

少年は黙したまま、しばらく天を仰いだかと思うと、おもむろに階段に腰を降ろした。

私の言葉など耳に届いていないとばかりに背をむけるその姿に、抑えていた怒りが復活する。


「ちょっと、人の質問には答えるべきでは?人が名乗っているのに…」

「私の名を知らないというのか?」

後宮女官なのに?少年は私を見上げると皮肉っぽい笑いを浮かべた。


「後宮女官でも知らないことはあります」

「本気で言っているのか?」

「嘘を言ってどうするんですか!」

夕鈴は声を張り上げた。
自分よりも年若いであろう子供に、上から目線で物を言われるのは正直腹が立つ。それに…いつまでも背を向けている態度にも苛立った。


「それが人と話すときの態度ですか!こちらを向きなさい」

夕鈴は少年の肩を掴んだ。驚いた瞳に向かって言葉を投げる。


「人と話すときは目を合わせなさい。お母さんに習わなかったのですか?」

後悔先に立たず。

やってしまった…また地を出してしまった…。ここに李順がいたら確実に減給処分ものだろう。
夢の世界でまで説教してどうする。


「は、はははは」

弾かれたような笑い声が回廊に響く。

目の前の少年は、腹を抱えて笑っていた。


「面白い…」

「陛下!」

少年の口から出た聞きなれた口癖に、夕鈴は居るはずもない人の名前を呼んだ。


少年は不思議そうな瞳で私を見つめ返してきた。
その眼光には冷たさは微塵もなく、狼陛下も影を潜めている。


「誰を呼んでいる?そんな顔して…」

少年は私の頬に手を伸ばしゆっくりと触れた。

驚いて飛び退いて、夕鈴は何かに蹴つまづく。

「きゃ!?」

そのまま堅い床の上、夕鈴は尻もちをついた。転ぶ直前に『借金』という文字が夕鈴の頭に浮かび、是が非でも手にしていた水差しを両手から離すことはなかった。

痛々しい音が回廊に響く。


「い…たたた」

腰をさすりながら涙目で少年を見上げると、目をこれでもかと丸くして夕鈴を捕らえていた。

まるで珍獣でも見ているかのような目つきだ。


「その水差しを離せば、手をつけたのではないか?」

「水差しを壊すわけにはいきませんので…」

なるほど…少年は口元に手をあてがい答えた。肩が小刻みに震えている様子から、必死に笑いをこらえているのは明白だった。




「あの…あなたはもしかして珀黎翔さまですか?」

私の質問に少年が微笑んだ。

「なんだ、知っているんじゃないか」





「小明!」

怒声のような叫び声で夕鈴の質問は中断された。私を呼ぶ声に、少年が眉根を思い切り寄せる。
先輩…なんとタイミングの悪いこと。


「小明、こんなところに居たのね。水差しは…」

夕鈴の姿めがけて駆け寄って来た先輩女官は、その傍らにいる少年を見つけるやいなやぴたっと動きを止めた。


「こ、これは若君さま…失礼をいたしました」

最敬礼する先輩の様子に、夕鈴ももう一度礼をとった。


「小明…」

少年の呟きで夕鈴ははっとする。しまった、今は夕鈴ではなく小明だった。


「私に偽名を使うとはなかなか…」

少年は口端に笑みを浮かべると、ゆっくり私に視線を送る。その視線がぶつかると、夕鈴の心臓がひとつ跳ねた。


「仕事の続きがあるのだろう?下がれ」

「はい」

先輩女官は慣れた様子で礼をとった。夕鈴も慌てて後に続く。

先輩に促され、立ち去ろうとした夕鈴の手を少年が掴んだ。

「!?」

「夕鈴、これを」

そっと袂に何かを差し入れられる。


「また泣きそうになったら食べたらいいよ」

にっこり微笑んだその表情は子犬陛下の表情と瓜二つで、胸が熱くなった。














「夕鈴…夕鈴…」

誰かが呼んでいる、私の名前を。

はっと目を開けると、まず初めに見事な格子模様が施された白い天井が見えた。次に豪華な天幕。


「夕鈴、気づいたか」

ゆっくりと声のする方を見ると、陛下がいた。夢の中で何度も逢いたいと願った人。


「陛下…本物ですか?」

私の言葉に首を傾げて不思議な表情を浮かべる陛下。でもすぐに柔らかな微笑みに変わった。


「本物だよ、夢見てたの?夕鈴」

夢…物凄くリアルな夢を見ていた気がする。


「私…」

どうやら床に寝ていたらしい体を起こすため、夕鈴は手をついた。起き上がろうとする夕鈴の腰を陛下が支える。


「大丈夫?」

「大丈夫です」

陛下の腕に支えられて、夕鈴は周囲を見渡した。歪むことのない視界に、安堵の息を漏らす。

現実の世界に帰って来れたみたいだ。


「驚いたよ、こんな所で眠っているから」

陛下はその声に心配の色を浮かべて呟いた。

もう長い間見ていない陛下の顔が珍しくて、夕鈴はじっと見つめた。
途端に、夢の中の少年と重なり合ったような気がして、夕鈴はクスっと笑った。


「どうしたの?」

「いえ、なんでも」

ふふふ…陛下の腕の中、笑いが止まらない。


「いい夢を見たようだね」

陛下は嬉しそうに微笑むと、私を抱き上げた。そのまま寝台まで運ぶと、ゆっくりと横たえた。


「今は夜ですか?」

「夜明け前かな。まだ起きるには早いから眠るといいよ」

陛下はそっと呟くと、私の額に手を載せた。手の平のぬくもりが眠りの世界に誘う。夕鈴は目を閉じたまま、陛下に話しかけた。


「すごく面白い夢だったんですよ、私、後宮女官として働いてるんです」

「それは…愉快だね」

「そこは確かに白陽国なんですけど、陛下や李順さんは居なくて。でも幼い陛下に逢ったんです」

「幼い僕?」

「はい。陛下って、幼い頃から狼だったんですね…」

「え?」

どういう意味?問いかけた陛下の言葉は夕鈴の耳には届かなかった。

ふと見ると、寝息を立てて眠り始める夕鈴が居た。

すごく気になる発言を言い残して眠ってしまった夕鈴に、陛下は困惑の視線を投げた。


「眠っちゃったね…」

安らかな寝顔を見せる彼女に柔らかく笑う。どこまでも甘く、柔らかい笑顔で。


陛下は身をかがめると、夕鈴の長いまつげの上、まぶたに口付けを落とした。


くすぐったいように寝返りを打つ夕鈴の着物の袂から、何かが飛び出す。


「?」

陛下が拾い上げると、それは小さな砂糖菓子だった。









『また泣きそうになったら食べたらいいよ』









「狼陛下の花嫁」二次小説第11弾完了です

夕鈴をタイムスリップさせちゃいました☆
楽しくてキーボードを打つ手が止まらない(笑)

作中でぜひ少年時代の陛下が見てみたいです。

二次小説をアップし始めて15日経ちます!
ここまで来れたのも、皆さんの暖かい拍手あってこそ。ありがとうございます

11:11  |  ちょっとパロディ編  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2010.08.10 (Tue)

目が覚めたら思い出すようにⅠ

「目が覚めたら思い出すように」

夕鈴目線で、ちょっと面白い展開に仕上げてみました。
好みが分かれるかもです。長いのでⅠとⅡに分けています。


ではどうぞ。









目が覚めた。

朝にしては薄暗い室内の中、夕鈴は目覚めた。

朝の冷気に身を縮め、夜の間に退けていた毛布を手繰り寄せて起き上がると、立ちくらみを起こしたかのように視界が歪む。


「……」

夢の中の続きを見ているようだ。

室内を取り囲む違和感に夕鈴は不安になった。

見渡した部屋は、昨夜と変わらず一定の重厚感を纏い静かに佇んでいる。


一見何も変わらない。

夜半過ぎにいつもと同じように妃の部屋を訪ねた陛下をお茶でもてなし、おやすみを言った昨夜と同じ場所。


だが…

夕鈴は起きたばかりで働かない頭を振りながら、寝台から降り立った。
床の冷たさが、裸足の足に直接伝わり思わず眉根を寄せる。


「陛下…」

すぐそばの長椅子で眠っているだろう陛下の名前を呼ぶが、返答はなかった。


気配のない室内の様子にまた不安になった。


ここは私の部屋なのか。本当に私の部屋なのか。


視界が歪む。


はっきりさせたくて振った頭がズキズキと痛みを伴い夕鈴を襲った。


夕鈴はおぼつかない足取りで窓辺に近付き辺りを窺った。
豪華な欄干に手を触れ、目を凝らして外の様子を見つめたが、誰もいなかった。

ひとっこひとり見当たらない。

夜通し起きているはずの警備兵さえ。


そもそも今は朝なのか夜なのか。

外に出て確かめないと…


夕鈴は扉の方向に振り返った。その途端、また視界が歪んだ。

ぐらぐらと、頭が揺れる。


「陛下…」

夕鈴は呼んだ。
今最もそばにいて欲しい人の名前を。


そこで意識は途切れた。










次に目覚めたとき、夕鈴は明るい日差しの下にいた。

頭上から降り注ぐ暖かみにここは外であることに気づく。

目覚めてすぐ目の前にあった自らの手を見ると、指先にテントウムシが止まっていた。

どうやら生い茂る短い草の上に、うつ伏せで寝転んでいたようだった。

地面に手をつき起き上がると、テントウムシが大空へ飛び立った。

遠くで鳥のさえずりが聞こえる。虫の声も五月蝿いくらいに。
夕鈴を取り囲むように広がるのは美しい庭園。見慣れたそこは、後宮の庭園だった。


「私…」

ここにいる記憶がない。
さぁ…と突如吹き抜けた風を受けて、夕鈴の衣装が舞う。


「!?」

夕鈴は、見知らぬ衣装を纏っている自らに驚く。
妃衣装にしては袂が短い。最初掃除婦の衣装かと思ったがどうやら違うようだ。

髪型にも違和感を感じた。いつも肩にかかっているはずの長い髪はひとつにまとめられ、触れると控えめなかんざしが手に当たった。


まさか…女官の衣装ではないか。

なぜ女官の衣装を着ているの?



「小明!」

後ろから叫ぶような声が聞こえて、夕鈴は慌てて振り返った。

シャオメイ?


「こんな所で何を?もうすぐ王の御座よ」

夕鈴の目の前に女官がひとり、訝し気に立っていた。

見覚えのない顔。少なくとも後宮の女官ではないことは確かだった。

明らかに私に向けられる視線に困惑する。

念のため私以外の誰かを探したが、草生い茂る暖かな庭園には夕鈴しか居なかった。


「小明、聞いてるの?」

「え…あのう…」

どなたのことでしょうか?私は失礼のないように笑顔で尋ねた。

私の笑顔に怒ったような表情を浮かべる彼女。


まずいわ。何か怒ってるみたい…。でも間違えてるのはあなたの方よ。


「何寝ぼけてるのよ、行くわよ!」

手を引っ張られぐらりと体が傾いた。彼女に連れ去られるままに、広い庭園を駆ける。


「王の御座よ」


王…じゃあ陛下に逢えるのね。

状況に理解出来ない夕鈴の頭に、陛下の姿がはっきりと映った。













どうやら私は本当に女官になったみたい。名前は小明で、後宮で働くひとりの女官。

夕鈴は大きく溜め息をついた。


「小明、湯を沸かしてちょうだい」

「あっはい」

椅子から腰を上げ、いそいそと湯を沸かす準備をし始めて、ふと思う。
違う!流されちゃダメだ。私は女官じゃないし小明さんでもない。

夕鈴は女官専用の休憩室にいた。

庭園から無理やり王の部屋へと連れて行かれ、言われるままに寝具に香を焚き染め、華奢な調度品を磨き、ひととおり部屋を綺麗にして今に至る。

命ぜられるままにこなした仕事すべて、女官の仕事だった。

なぜ、後宮女官の仕事を妃である私がしているのだろう。


「どうしたの小明、今日は様子が変よ」

手を止めて考え込む私に声が掛かる。さきほど私を庭園に向かえに来た女官だった。察するに、小明さんの先輩女官というところか…。


「あの…私、小明さんではありません」

「なんの冗談?」

面白くないわよ…先輩はクスクスと笑った。

そのまま私が途中でやめた湯を沸かす準備を始め、手際よく火をおこす。ほんの数分もたたないうちに室内に湯気が立ち上った。

いや、何の冗談でもない。いっそこの状況が冗談であればと思うが、堅く目を閉じても夢から覚めることはなかった。


休憩室の奥では女官たちが楽しそうに談笑する声が響いていた。


「お茶にしましょう」

先輩は私に笑い掛けると奥へと去って行った。仕方なしに後を追って奥へ進むと、笑い声がさらに大きく響いた。
女官の輪に入りお茶を一口すする。とりあえず状況を把握するために気分を落ち着かせないと。


「それで…今度の出征は近いらしいわよ」

「そうなの?陛下も大変ね、この間お妃さまをお迎えしたところなのに…」

陛下という単語が耳に届き、夕鈴は目を見開いた。


「それって狼陛下?」

夕鈴の言葉に、ぽかんと私を見つめる無数の女官の目。


「狼陛下って何?そんなあだ名あったかしら…」

「狼といえば…この間、王家主催の狩りの宴で狼が出たんですって」

「まぁ恐い」

夕鈴が投げた質問など、次々と飛び出る話題によってかき消されてしまった。

どうやらここの女官はかなりのおしゃべり好きみたいだ。こういうところは庶民でも女官でも変わらないわね。


「でもここだけの話…次世の王はどうやら翰(かん)大臣の倅になるんですって」

まるで内緒話でもするみたいに急に声を落とす女官たち。夕鈴は、興味深い話題に耳を立てた。


「あら?珀家の若君ではないの?」

「血族から言えば、珀家の若君が跡継ぎよね」

「でも実権は大臣様の手の中らしいわよ…」

「まぁ恐い」

クスクスクス…女官たちがほがらかに笑う。

いずれも名家出身の娘たちには、次の王など実際誰がなろうが関係ないらしい。
王の代替わりで治世が変わろうが、国の動向が変わろうが、変わらぬ笑顔でお茶を飲んでいることだろう。


そんな無邪気な女官たちの話を聞きながら、夕鈴はふと手を止めた。

さっき…確かに珀家と言った。陛下の苗字と同じだ。


「あの…珀家の若君というのは?」

夕鈴はおずおずと尋ねる。


「あら小明、まだお逢いしたことがないの?ちょうど今王都に滞在中ですのに…」

わたくしはお見かけしたわよ…女官のひとりが自慢気に答えた。


「はい、まだ…なんですけど、今どちらに?」

「後宮へ戻って来ていらっしゃるわ」


後宮…ってここか。

狼陛下が浸透していないあたり、その珀家の若君は陛下ではないような気がするが、今はどんな手がかりでも欲しい。後で逢いに行ってみよう。


「でも、今度は本格的に辺境に行くかもしれないって」

「まぁ、お可哀想に…」

「王が王なら母君も苦労なさるわね」

ちょっと、声が大きいわよ…女官たちがひそひそと囁く声は夕鈴の耳には入らなかった。



珀家の若君。

たとえ陛下でなくても、陛下の血筋の方なら、この私を取り巻く不可解な状況をなんとか打破してくれるかも。

淡い期待を込めて、夕鈴改め小明は女官仕事の続きを始めた。





Ⅱへつづく


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