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2015.09.05 (Sat)

忘却のかなた 前編

忘却のかなた 前編

ずっと書きたかったネタ(*^^*)
まずは前編をアップしてます。

長いですが休憩しながらどうぞ。


【More・・・】

忘却のかなた 前編



第一報を聞いたときは、心臓が止まりそうになった。胸の痛みと押し寄せる不安に何度も叫びそうになりながら走った。

走って走って、ひたすら走った。

汗で前が見えなくなって、着物の裾を引っ掛けて、髪飾りを落として…いろんなことを放り出して、私は走った。

だから、寝台に腰掛けている陛下を見たとき、その漆黒の目がちゃんと見開かれて、ゆっくり私を捉えたとき、どっと安堵して腰を抜かしてしまった。

はぁはぁ息継ぎをしながら、冷たい床にぺたりと崩れ落ちたときには、まだ違和感に気づかなかった。
背中を伝う汗の不快さと、嫌に静まり返った寝室の様子が、ゆっくりと映像として記憶に残っていく。


「お妃さま…」

背中越しに、か細い声が降って来て私は振り返る。見ると妃付きの女官が無残な姿で肩で息をしていた。美しい身なりは乱れ額に汗が浮いている。急に駆け出した私を追いかけ追いかけした結果だ。

「あ…」

しまった…と思ったが後の祭り。へろへろになりながらも私を起こそうと膝を折る女官に謝罪したながら、やっと力が入るようになった体を起こして陛下へと視線を向けた。

「……」

様子のおかしさに気付いたのはその時だ。
普段ならば一声も二声も飛んで来るはずだが。そばに佇む側近同様に、硬く口を閉ざす陛下に、私はただただ部屋と廊下の狭間に立ち竦んでしまった。


「あ……の…」

「お妃さま」

李順がまるで視界を遮るかのように私と陛下の間に入る。
視界からは姿は消えたが、はっきりとそこに感じる陛下の気配がピリピリと毛羽立っている。そのことに不安に揺れていく心。李順の言葉はまるで頭に入らなかった。

とにかく中へ…李順に導かれ一歩足を踏み入れたとき、よく通る声が響いた。


「露某や碧水はどこに居る?」

低い声が鼓膜を覆って、身体が震える。一瞬誰の声かと耳を疑うが、間違いなく陛下が言ったようだった。
おかしいことに聞き慣れない声音ではあったが。

陛下は誰かの名前をしきりに呼び、険しい顔で周囲を見渡していた。

ろ…ぼう?へきすい?
知らない名前だ。


「……東の任地に就いておられます」

李順は陛下以上に険しい顔で振り返ると、静かに礼を取った。

「ふざけたことを言うな、李順」

あまりにも冷たい陛下の声に、ひゅっと喉が鳴る。空恐ろしい雰囲気に私の呼吸が止まりかけたのだ。

「恐れながら…ふざけておりません。ここは王宮です」

「は?王宮…だと、一体何を…」

陛下は吐き捨てるようにもう一度周囲を見渡し、そして私と目が合った。
ほんの一時であったが、雷に打たれたかのような衝撃が走る。

この視線は…どうしようもなく見覚えがあった。

あの頃、まだ出逢ったばかりの頃よく見せていた視線。


「白陽国宮、国王陛下のお住まいです」

再度、李順が告げる。

「なぜだ…」

陛下は一瞬無言になり、そしておもむろに立て掛けてあった長剣を手にする。いつも腰にさしているものだ。
取り囲む面々に緊張が走る。

「兄上の…」

「兄上様はとうにお亡くなりです」

「……なにを!」

陛下は寝台から降りようとぐっと力を入れたようだったが、苦痛に顔を歪め元通り突っ伏した。

「陛下!」

私は弾かれたように駆け出した。
李順の視線が近づくなと警告していたが、それどころではない。
寝台の縁に手をかけたときにやっとこちらを見てくれたが、その目は光を灯していなかった。


「誰だ」

「え…」

今、誰だと言ったの…。

「陛下…」

「女、必要以上に私に近づくな…」

「……」

幻聴ではない。
あまりのことに言葉を失った。

まるで信用していない目、信頼の欠片もない声。

子犬のように笑うけれど心から笑ってはいない、優しいけれどどこか拒絶している、そばにいてくれるけれどなぜか諦めている、そんなあの頃の彼の態度と交差する。
心臓がどきりと波打った。


「お妃さまですよ、陛下」

李順が珍しく柔らかな声で言う。

「お妃…だと。兄上の妃がなぜ私のそばに居る?」

「あなた様のお妃です、国王陛下」

「…お前は何を言っている」

陛下は引きつった顔で表情のない李順を見て、焦点が定まらず突っ立ているばかりの、これまた表情のない私を見た。


「真実を申し上げております」

淡々と告げる李順。
事実といっても、このような非常な空気の中言いのけるあたり、やはり神経が太い。というか肝が座っているのだろう。

陛下は絶句と共に頭に手の平を当てた。
まだ痛みが残るのか…白い包帯が巻かれた傷口に指を添えて、眉根に深くしわを刻む。

私もまた絶句し、小刻みに震える肩を抱いた。

ショックに薄れていく意識の中で見た陛下の瞳は、やはり光を失ったままだった。












記憶喪失など、どこかの小説家の産物でしかないと思っていた。
身近に起きるなんて、しかも大切な人の記憶を奪っていくなんて…想像できただろうか。

行ってらっしゃい…と見送った時のまま、私の時間は止まっていた。

今日は遠出するからと、いつも以上に抱き締める時間が長くて、見送るだけのはずが、必要以上に糖度の高い演技に突入してしまい随分と焦ってしまった。別れ際、やたらと子犬の表情で寂しがるから、思わず付いていきたいと言ってしまうのを慌てて留めた。

ほんの数刻前だ。

落馬して怪我して王宮に運ばれたと聞いて、後宮内を走って走って汗だくになって、やっと逢えた彼の無事な姿にほっと息を吐いた。

すぐに彼の元へ駆けたかったけれど、息が整わなくて、後から来た女官の姿もぼろぼろで。

それでも立ち上がって、手を伸ばして。

ほんの数刻前だ。


伸ばした手が何かを掴むことは無かった。

ほんの数刻前の話。










「泣いたって、陛下の記憶は戻らんじゃろうて」

「泣いてません」

グスッ。私は鼻をすすりながら、老師の用意してくれたお菓子を頬張った。

「やれやれ、難儀なことじゃ」

ご自慢の長い髭をいじりながら、老師は真剣に調合作業を続けた。薬学分野にも博識な師は、進んで陛下の記憶に効く薬を調合していた。

「気休め程度にしかならんが…」

老師はボソボソ呟きながら、作りを終えたばかりの薬を、瓶に詰めた。

「食後にこれを…」

「ありがとうございます」

涙で霞む目でしっかり受け取ると、私は大事に懐へしまった。

「一時のことゆえ、しばらくすれば回復するであろう。あの方がお前さんを忘れるはずない」

優しい言葉も右から左。落ち込んだ私の気分を上げることは無かった。

「……」

覇気の無い私を気にすることなく、老師は小さな身体を椅子に預けた。

「落馬の際の打ちどころがなぁ…もう一度同じ衝撃を与えれば記憶が戻るやもと助言したが、側近に却下されてしもうた」

やれやれ…老師は、私の食べかけのお菓子をひょいと摘む。その仕草をぼうっと眺めてから、私は大きくため息をついた。

「お前さんがそれほど落ち込んでいたら、治るものも治らんじゃろうて」

「私が何をしようが、どうしようもありませんよ」

言ってさらに落ち込む。
私のことを忘れてしまった今、私に出来ることは無いに等しい。そんな風に言うと老師はまた、難儀じゃなぁ…と呟いた。

「言ったじゃろう?お前さんのことを忘れるわけないと。眠ってるだけじゃ」

「眠ってる?」

「記憶の奥底にあるお前さんのことを、思い出させれば良いんじゃよ」

「どうやって?」

「そりゃあ、こうバァン!と」

「それは却下されましたよね」

「残念じゃ」

老師は肩を落とす。
私も同時に肩を落とした。

歩く生き字引、博識な老師から何か手立てを得ようと思って来たが、あまりにも非現実的な出来事にさすがの彼もお手上げらしい。
口では軽く言っているが、国王の記憶が無くなるという一大事に衝撃を受けているようだ。さっきからお菓子を上手く口に運べず、落としてばかりいる。


「こうなるとお前さんが頼みじゃ」

「でも、私…何をどうしたら」

彼の記憶に無い私。いわば不審者に等しい存在。そんな私が近づくこともままならないこの状況に、出来ることなんてあるのか。

「今のお前さんに出来ることじゃ」

「……」

「お前さんらしく、な」

私らしく。
陛下にもよく言われた。ありのままの私でここに居て欲しいと。

だけど。

「辛いです…」

私だけ忘れ去られてしまった。
これほど残酷なことはない。

胸がキシキシと音を立てて痛んでいくようだ。痛みは涙となり、やがて視界を真っ白に染めていく。

ずっと泣いてばかりだ。泣いたところで何かが解決するわけではないけれど、泣かずにはいられない。

老師は私の肩をぽんぽんと叩きながら、優しく語り出した。

「今の陛下の記憶は3〜4年前で止まっておる。まだ即位前じゃ。辺境の地で反乱軍を抑え、兄上の脅威と暗殺をかわしながら血肉の争いを繰り広げておった頃。あのように光を映さぬ目を見たのも久方ぶりじゃ…」

「まだここへ来たばかりの頃、時々あのような目をしていました」

「あのお姿も本来の姿じゃ。記憶を無くした今、あの方の多面性は見られんじゃろうて…」

多面性とは本来の彼の姿のことだろう。妃限定のたっぷりと甘く優しい姿。私へ笑いかける笑顔が懐かしい。

「それは、子犬のような優しい彼のことですか?」

「子犬かどうかは知らぬが、今の陛下から柔らかさは微塵も感じられぬな」

老師がため息と共に肩を落とした。

「お前さんは知らぬじゃろう。即位する前後の陛下を。武を持って治を制する。まさしく陛下のための例えじゃ」

「……」

「端正な顔立ちの裏側にある醜さを見せたくはなかろうに。お前さんをどれほど遠ざけておったか…知らぬのは本人ぐらいじゃ。今の陛下は、お前さんから遠ざけたいとしていたお姿そのままじゃ。記憶が戻った後の陛下を思うと心苦しいの…」

「私は…そんなことで、失望したりはしません」

彼の過去の実績は知っているし、私にだけ見せてこなかったのも分かっている。彼が持つ闇の側面も彼自身だ。目を背けられない。
そんな風に言うと、老師は感心したように頷いた。

「まぁ…お前さんの方は大丈夫そうじゃな」

少しだけ笑顔を見せて、安堵の息を吐く老師。

「問題は…あの若僧かな」

「?」

「陛下の御世久しく、ようやく安定を見せてきた昨今の王宮に、あのご気性が仇にならねば良いが…側近の気苦労が目に見えるようじゃ」

言葉の深刻さとは裏腹に、なぜか愉快そうにヒゲをさする老師。若僧こと李順が困る様子を望んでいるように聞こえる。

「大変…なのでしょうか?」

忘れ去られたショックのせいで頭が回らなかったが、即位前、辺境の地で活躍していたと聞く陛下とはどれほどなのか。
ちゃんとお仕事しているのか気になる。

「お前さんはあの方の妃じゃろう。自分の目で見て判断すれば良い」

「……」

私の動揺を見てとり、老師が付け足す。

「記憶が無くても妃である事実は事実。別に政務室通いを止められたわけでもあるまい」

「でも…また誰?みたいな顔見るのは嫌ですよ」

正直引きずってる。
何かあっても、たいがい次の日には立ち直る心の強さは持ち合わせていたはずだが、さすがにショックが大き過ぎた。
あのシーンを…陛下の視線を…拒絶の含まれた言葉を…フラッシュバックのように何度も思い出してしまう。

「顔を出さねば、いつまで経っても誰?じゃ」

「それに…今や妃の立場は危ぶまれています。下手に動かないほうが良いと」

寵愛が尽きた今、余計な後宮のいざこざに巻き込まれる危険性が高いので目立った行動は控えるように、と上司から言われている。
このことを告げに来たときの、なんとも酷い顔が忘れられない。今さらながら夕鈴同様、多大なダメージを受けていたのだと気づく。

「側近の気苦労を増やさないためにも、余計な行動は控えますよ」

今はまだ、陛下の顔を見たくない。遠くから眺めるぐらいなら叶いそうだけど、やはり足が向かない。心の痛みが私に待ったをかけるのだ。

「それはどうかのぅ…あの若僧、今頃お前さんへの指示を後悔しているやもしれぬ」

「は?」

「勇気を出せ、お妃。動きまわるのはお前さんの特技であろう」

「……」

持ち前の行動力は役に立たない。
やはりもう少し、動揺を落ち着ける時間が必要だ。

「今のお前さんに出来ることじゃ、落ち着いて考えなされ。ただ、時間は待ってはくれないこと、そのことも忘れぬように」

「……はい」

出来ることは限られている。

こうしていても陛下の記憶は戻らない。
妃の立場も刻一刻悪くなる。
彼の庇護がなければ狩られるだけの子うさぎ。
だが…おとなしく狩られてやるわけにはいかない。

ちょっとだけの勇気を老師からもらい、私は部屋を後にした。










夕方に顔を出した夕鈴を出迎えてくれたのは意外な人物であった。
なぜあなたが…などと言うと余計な火種になりそうなので、夕鈴は軽く挨拶するに留めることにした。
無難に会釈し、無難に微笑みながら声を掛ける。
ただ、敏感な彼は気配を察したようで、やはりというかお決まりの嫌味が飛んで来た。


「出迎えが私では不服そうだな」

「とんでもない。ただ珍しいこともあるな…と思っただけです」

言葉に棘を出さないように、夕鈴は努めて明るく言うと、通い慣れた場所に足を踏み入れる。

目に入る風景に驚く。そこは夕鈴の想像とは違い、以前と変わらない雰囲気が流れていた。一気に身構えが取れて、安堵と共に彼に声を掛ける。


「陛下は王宮ですか?」

「いや、外だ。馬で視察に行かれている」

彼、柳方淵は苦々しく答えた。

その顔の理由は明確。記憶を無くした原因が落馬というのに、また落馬でもしたらどうする。そんな表情であった。

「それは…大変ですね」

「何を他人事のように言っている。妃ならば夫を止めるべきであろう」

「……」

驚いた。彼はまだ、夕鈴のことを妃と思っていてくれているようだ。

「私がお止めしても聞く耳ありませんよ」

鼻で笑われて終わるかも…そんな風に言うと益々苦々しい顔をされた。

「そのような心で陛下をお救いできるものか。なんと軟弱なこと。あなたは自分の立場が分かっているのか」

「……分かっております。なのでここに居りますから」

ここ、政務室へ来るのは陛下が遠出した朝以来、実に六日ぶり。やっと踏み出せたのは心のショックが和らいだおかげだ。

「分かっているならもっと早く来い」

方淵は一蹴すると、スタスタと奥へ立ち去って行った。

相変わらず毒々しいこと。夕鈴は少しの苦笑と共に方淵の後を追った。

政務室の面々は一様に驚いていたが、たいした混乱も見せず夕鈴を迎え入れてくれた。
いつもの位置にある妃用の椅子を見てホッとする。これが下げられていたら、立ち直れないところだった。

感触を思い出すかのように腰掛けたとき、再度方淵が現れた。夕鈴を毛嫌いしてか政務室では一切近寄らなかったというのに…今日は本当に珍しい。この晴天に、雪でも降るかもしれない。

「あなたがさぼっている間に多少人事が動いた。新入りもたくさん入ったので見知りおかれよ」

方淵の合図と共に新入りたちが夕鈴の前にかしずき、一人ずつ挨拶する。夕鈴はにこやかに受け答えながら、思った以上の数に不安になった。

「随分と変わったのですね」

全て挨拶が終わり下がって行く背中を見ながら、こそりと方淵に尋ねた。

「全て陛下の采配だ。異例の辞令の多さに側近殿も混乱している」

方淵はもう一生取れないんじゃないかと思うほど眉間に深くしわを刻み、遠くを見やった。

そういえば李順の顔もここ数日見ていないな…方淵以上に深いしわが刻まれている顔を想像して、夕鈴の表情が渋る。

「李順殿はどこに?」

「宰相殿と軍部だ。ここ数日、籠りっきりのためお会いしていない」

「……」

なるほど、穏やかでないな。
夕鈴はため息と共に頭を下げた。

「元々、役に立たない人材は切り捨てる方針の方ではあったが、記憶を無くされてからは顕著過ぎて幹部も困惑気味だ。慎重派の陛下には珍しく、立場を無視した行動が多く見受けられる」

「なるほど」

「なるほどではないわ。お諌めする立場のあなたが納得してどうする、まったく…」

ぶつぶつぶつ…彼の怒りに触れたらしく、方淵の機嫌が一気に悪くなった。

あーしまった。救いを求めキョロキョロと周囲を見渡していたら、入口からこちらへ向かって来る見慣れた人物が見えた。

李順だ。

久しぶりの登場に、いつもは絶対感じない嬉しさをちょっと感じる。

やっと軍部から解放されたのかな…そんな風ににこやかに考えていたせいで、自然と笑みがこぼれた。

すぐ近くまで来たときに軽く頭を下げたところ、露骨に嫌な顔をされた。

そこで気づく。彼の機嫌の悪さに。
警戒レベルをすでに振り切っていたが、とにかく声を掛けざるおえなかった。

この王宮では身分の高い者からしか声を掛けてはいけない決まりらしい。


「ご、ごきげんよう、李順殿」

「探しましたよ、お妃さま。政務室にいらっしゃるなら、そう言付けなさいませ」

「……すみません、たまたまこちらへ足が向いたもので」

素直に謝っておく。理由はどうあれ言付けしなかった夕鈴が悪い。

「それより何か…?」

「今夜陛下がお連れになる客人を、陛下の代わりにもてなしてください。すぐにでも出迎えの準備を」

「え!今夜?」

今夜って…今はもう夕方だ。
いつも突然だが、さすがに突然すぎる。
しかも、私ひとりでもてなすのか。

そう尋ねると李順からため息が漏れた。

「そう申しております。悠長におしゃべりしている暇はありませんよ」

早く…無理矢理促され、夕鈴は立ち上がる。

誰をどうもてなすのか…なんの情報も得られない中、とにかく急ぐ李順と共に政務室を退出した。










「酒宴を一人で任されたことはありません」

「そうでしたか?それでは、良い経験を積めますね」

李順はさして気にも止めず、夕鈴の長い髪を丁寧に結い上げた。

「何度も聞きますが、陛下はなぜ迎えないのですか?」

「気が向かないとおっしゃっています。自ら招待しておいて、この言い様です。はっきり言って愚の骨頂です」

主人を愚の骨頂と言いのけるあたりこの方らしい。李順は夕鈴が知る限り、とても側近らしく、側近らしくない人物だ。

「私ひとりでは…」

「大丈夫です。大臣殿が付いております」

「…そこが不安なのです」

酒宴のサポート役の氾と柳を思い浮かべて嫌になる。お客様のおもてなしをしている最中に、犬猿の仲の二人のサポートまでは仕切れない。
犬猿で居てくれているのならば、まだ可愛げがあるが、お客様を自らに取り込もうと躍起にならないか心配である。
陛下が今夜連れてくるお客はいわば国賓。国にとっても重要人物らしい。そんな国賓のもてなしを夕鈴に任せた真意は不明だ。
以前の陛下であれば絶対にありえない。彼は夕鈴を国益や国害の一番遠いところに留め、一切近づけようとしなかったから。

籠の中の鳥。檻は頑丈で、柔らかい真綿で包まれていた。そこには脅威や権威はなく、同時に真実も無かった。
そんな世界が当たり前だったので、こういうことに慣れていないのだ。


「不安です」

「腹をくくりなさい」

まったく優しくない言葉で追い出され、夕鈴は国賓と対座するため宴席へと向かった。










夕鈴の心配をよそに酒宴は順調だった。
国賓は南の遠方からの商人で、歳の近さや身分の近さもあってかすぐに打ち解けることが出来た。
彼らはいわば新興商人。ここよりずっと南の国である成丹国で唯一許可を得た商人であった。国の許可を得ると一気に大商人になる。そんな雰囲気を感じさせないほどの素朴さが滲み出るのは、彼らが田舎出身だからだろう。また実際に彼らは真面目で働き者の商人であった。

彼らの純朴さにすっかり毒気を抜かれた大臣たちは、さっきから大人しいものだったので、夕鈴は気兼ねなく会話を続けられた。


「遠路はるばる荷を運ぶのも大変でしょう。特に日照りや水害などが頻繁に起こる季節は」

「そうですね。不規則な天候に影響されずにどれだけ状態がいいものを運べるかが大事ですね。白陽国は香木の運搬に一番気を使っております」

祭事や儀式にかかせない香木が主な取り扱い品目だと聞いていた。それに…。

「あとは、やっぱり絹の交易に力を入れています」

夕鈴の気持ちを代弁するかのように、商人は答えた。
今、白陽国が重要視しているのが話題に上がった絹の交易だ。南の国は良質な絹の産地だと知られている。
交易により安定して取引が出来るようにするのが今回のもてなしの目的らしい。以前から続いている他国との交易の兼ね合いもあり、あくまでも表に出さないのが肝心。

そこで下っ端妃の出番だ。

国権を左右させる力を持たないが、寵姫として名高く価値の高い妃。私欲をからませないためのデリケートな交渉役にはうってつけだった。

交易は本来、吏部の仕事。
吏部が交渉するとなると、それは正式になる。適正な取引を交わすためにも、国の正式を通してはいけないらしい。ほとほと難しいものだ。

接待を任されたのはこのような思惑からだ。
それでも陛下が顔を出さないのは問題あり、直前まで文句を言っていた李順の顔が思い出される。

国家の七不思議という巻物があればぜひ読んでみたい…夕鈴は国務の不思議を殊更感じながら、無事更けていく酒宴に、そっと息を漏らした。








部屋に戻るとご満悦の李順から差し入れが届いていた。ご満悦は予想だが、彼からの差し入れなどめったに無いのでほぼ間違いないだろう。

夕鈴は差し入れの砂糖菓子をひょいっと口に運びながら着物の帯を緩めた。

無事大役を終えたことに安堵しつつ、疲れた身体を長椅子に横たえる。すぐに眠気が襲い意識が落ちていく…と、カタン…。物音に目を開けた。

風で窓が揺れたか…そんな風に見やるが、しっかり格子は閉じていた。さして気にせずぼんやり視界を探ると、何か黒い塊が目に飛び込んで来た。

次に低い声音が、部屋を駆け抜けた。

「無用心過ぎる…」

ちっ…舌打ちの音で夕鈴はばっと起き上がる。定まらない焦点のまま、黒い塊に目を向けた。


「へ…いか」

陛下だ。

「陛下…」

感動してまた名前を呼んでしまった。

「夕鈴…と言ったか、今日は大儀であった」

「……はい」

本物の陛下。頭の包帯は取れ、見た目はすっかり元通りだ。表情の青白さもなくなり、血色の良い顔色を晒していた。

「ご回復されたのですね…良かった」

良かった…心の底から笑顔を浮かべる。

「……」

逢うにははばかれたが、いざ逢うと愛おしさがこみ上げる。どんな彼でも、やっぱり逢いたかったのだ。改めて自らの気持ちを認識した夕鈴は、慈愛を込めてじっと陛下を見上げた。

陛下は漆黒の瞳に感情を一切映すことなく、夕鈴を見ていた。

まだダメみたい。ため息を押さえ込み、ぐっと笑顔を浮かべた。


「あっ…と、お茶でもお入れしましょうか?」

食べかけだけど李順からの差し入れも出そうか…用意をしようと立ちかけたとき、事もあろうに裾を引っ掛けつまづいてしまった。

ぎゃっっとおよそ妃に似つかぬ悲鳴を出し、卓に手をつく。間一髪で転倒は免れ、ほっと息をついた。
ふぅーっと額の冷や汗をぬぐって、陛下に礼を取る。

「失礼いたしました。そちらへお掛けください」

陛下はまるで何も見ていなかったかのように無反応で、促された椅子に腰掛ける。

「……」

微妙な空気に顔をしかめそうになるがぐっと我慢した。
いつもの陛下なら…とか考えないように努めた。夕鈴のことを記憶にないのだから仕方ない。

お茶を淹れ終わった夕鈴が席に着きいざ対面すると、懐かしいような温かいような感覚が起こる。陛下は相変わらずキツイ表情であったが、初日に感じたような拒絶の気配はない。接触時間は短かったが、ここ数日で随分警戒心を解いてくれたようだ。

夕鈴は眠い目をこすりつつ、交易商人の話や陛下との思い出や、後宮での生活を話した。

取り留めのない話題ではあったが、陛下が語りを中断することはなかった。
相槌を打つこともないため、はたして聞いているのか定かではなかったが、陛下がこちらをじっくり見ていたので夕鈴は懸命に話し続けた。

こうやって長く向き合うのも久しぶりだ。
記憶を無くした後、陛下は視察やらお忍びやら何やらと、いつも以上にせわしなく動き、見かけるのさえ難しかったから。


「君は…」

会話の途切れ目に、ふと陛下が呟く。夕鈴は何事かと見やるが、それ以上言葉が続くことはなかった。

「陛下?いかがなさいましたか?」

自然にお茶のおかわりを注ぎながら陛下の反応を見ていたところ、ぽつりと話し出した。

「私は随分と君を寵愛していたようだ。行く先々で噂を耳にする」

「そ……」

そうですね。
言ってしまって良いものか。
偽りの妃である件は伏せている。どこまで真実が伝わっているか定かでないため、下手な事は言えない。
夕鈴は無言で笑顔を浮かべた。


「たったひとりの妃か…私は生涯ただのひとりも妃を娶るはずがないと思っていた」

「それは…なぜでしょうか?」

国の治世のためには妃は必要だ。後宮の長い歴史が物語っている。妃を娶るというのは、王族であれば至極まっとうなことである。
実際、国が安定を見せ不穏分子を一掃したら、しかるべき家から正妃を迎えると言っていた。もっとも、そう言っていたのは陛下ではなく側近だが。

「妃は…やはり必要かと思いますが…」

「国を堕落させた要因であり、私の父の衰退のきっかけだ」

「……え」

「だから必要ない」

「……お父様の?」

驚いた。
陛下の口から父親の話を聞くのは久しぶりだ。今まで、父親という単語すらめったに話題に上がらなかった。
陛下は形容し難い表情で、視線を落とした。家族の話をするとき、いつも浮かべる複雑な顔。どこか他人事のように焦点を合わせずに。

父親を衰退させた妃、まさか自分の母親の事を話しているんじゃないのだろうか…そう感じ不安になった。
陛下の母親は美しい舞姫だと聞いていた。あの陛下のお母さんなので、さぞ美姫に違いない。
その美しい方が父親を衰退させた…そう語ったように聞こえた。


「酷い顔だな。私と逢っているときは笑顔を向けるべきではないか」

陛下の言葉に夕鈴ははっと顔を上げた。頬を手で押さえて、硬くなった表情をほぐす。

顔が強張るのは初めてではない。
この話題はいつも、不安で堪らなくなる。

陛下の訝しい視線が、弱くなった心を余分に打ち付ける。強くありたいと望むほど、弱くなる心。

彼に恋している。
だから余計、強さを保てない。

「……」

笑顔を向けないと、妃らしく。
それが私の仕事だ。
ここに居る意味だ。

申し訳ありません…謝罪の言葉は出ない。

代わりに、涙が出た。

「…っつ」

泣いてはダメだ。
そう思う反動が、さらに夕鈴の目元を涙で染めてゆく。


「……なぜ泣く?」

陛下は驚いたように声を出した。

「…っも…っ」

…また言葉が出ない。
堰を切ったように流れ出す涙に抗えず、夕鈴は顔を両手で覆った。
息が苦しい。まるで大量の涙が喉の奥を塞いでいるかのように、上手く呼吸できなかった。

「…っつ、く……」

涙の理由は分かっている。

陛下のお母さんのこと。家族のこと。
悲しくて。陛下の心が痛くて。とても苦しい。
私にはたぶん分からない。家族の存在に安心感を感じる私には。


「ごめ…っんなさい……」

やっと声を出せるようになり、夕鈴は謝罪した。

「何を謝る?」

陛下は困ったように眉根を寄せた。
久しぶりに見る懐かしい仕草に、ふっと緊張が解けた。
夕鈴は深呼吸と共に声を出した。


「泣いて…しまった…こと。驚かせて…ご、めんなさい」

「謝ることはない」

陛下はぶっきらぼうに答えると、まるで拗ねたようにそっぽを向いた。

「……」

「私の記憶が戻らぬゆえ、泣いているのだろう?」

「!それは…ちが、います」

「違う?」

コクコクと力いっぱい頷いて否定する。


「じゃあ、なぜ…」

陛下の問いかけに、心苦しくなった。
どうしたって彼の発言が原因だが、それを言って困らせたくはない。たぶん理解が及ばないことだ。
私と彼は対極であったが、一緒に過ごす時間がふたりの溝を埋めた。今はそれも無い。埋める手立ても見つからない。


「違わないだろう…」

何も答えない夕鈴に、陛下はため息をついた。
その横顔が切なく揺れているように見えて、夕鈴は思わず手を伸ばした。
温度の低い陛下の手に自らを重ね、そっと握り閉めた。

涙で霞む目で陛下を見つめる。


「記憶が戻らなくても陛下は陛下ですから。私はただ…家族のお話を聞くのが苦しくて」

「家族?」

「……はい」

と答えてはっとした。
慌てて握り締めていた手をほどく。

「すみません、ご無礼を」

距離を誤ってはならなかった。夕鈴は軽く頭を下げると、袂から手布巾を取り出し濡れた目頭を拭った。

「……」

「さっぱり理解できないな。私の家族の話になぜ苦しくなるんだ」

再度ため息をついた陛下は、頬杖をついて目を伏せた。

なぜ…どう言ったら分かってもらえるだろう。
どうすれば…この気持ちがあなたと共有できるだろう。

初めて出逢ってから、ずっと考えて考えて…未だ答えは見つかっていない。闇の中を手探りで探し求めるようなものだ。もがけばもがくほど深みにはまり、望む展望は見えない。
前進しない押し問答に、いつしか疲れてしまっていたのかもしれない。

陛下が家族の話題を意識的に避け出したのは、ちょうどその頃。

分かり合いたい。
共に歩んで行きたいと願った。

それが余計、私の気持ちに歯止めをかけていた。

軽く息を吐き、視線を上げた。見慣れた周囲を見渡す。
何一つ変わらない。空気も匂いも。


『君はキミらしく。ありのままの君がいいよ』

陛下の声が聞こえた気がした。


陛下…あなたの瞳は夜の海のようで、あなたの声はさざ波に消され届かない。

先の見えない航路を照らすのは、私の役目だと思いたい。


確かにそこに居る。
私にはそう思えて仕方ないの。


夕鈴は震える肩を自ら抱き、噛み締めて固まったままの口元を懸命に緩めた。


「好きだから…あなたのこと」

「……」

好きなの。

とめどなく流れ落ちる涙が、硬く握った両手の甲に当たる。

苦しい。だから苦しい。

好きだから…。

「……苦しい…の」


長身の影がさす。

ふと顔を上げると、目の前には陛下の腕があった。



「苦しいのに笑うな」


そう言うと陛下は、ぎゅっと夕鈴を抱き締めた。










二次小説第84弾前編終了です
後編は鋭意執筆中、もうしばらくお待ちください(*^^*)
前から書きたかった記憶喪失ネタ、書いたは良いが終わりが見えず…でもキリが良いのでアップしました。果たして彼の記憶は戻るのか、次回乞うご期待!次回で終わるのかな…?

最後、夕鈴を抱き締めた陛下に乾杯です!!




00:08  |  狼陛下の花嫁  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

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 |  2015.10.04(日) 07:47 |  | 【編集】

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