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2015.12.03 (Thu)

忘却のかなた 後編

「忘却のかなた」最終話です。

今回は夕鈴目線。はたして陛下の記憶は戻るのか…。

とっても長いですが、最後までお付き合いくださいね。

ではどうぞ。


【More・・・】

夢を見ていた。



あなたがやって来る。

遠くから笑顔を浮かべて。

伸ばされた手は優しく。
与えられた眼差しは柔らかく。
触れる温度は温かい。

夕鈴…
私を呼ぶ清らかな声音に耳を澄ませると。
ぬくもりで心が満たされていく。




夢を見ていた。









忘却のかなた 後編










ここは狼陛下の後宮。
朝から広間に大きな掛け声が響く。

「そこで反転、足が逆ですよ!」
「うわっ…っと…」

間違いを指摘され、私は慌てて足を引っ込めた。
そこでバランスを崩しそうになり、思わず声を漏らしてしまった。すぐにしまったと感じ、口を覆ったが、意味の無い行為であったようだ。
怖い怖い鬼上司の視線が一段階鋭くなったのを肌で感じた。

「夕鈴様!」
「す、すみません」
謝罪と共にとり繕い、私は再度正しい足を出してステップを踏んだ。
今度は間違わないように…徹夜で頭に叩き込んだ手順で、身体を動かす。
広間の入口付近で固唾を飲んで見守っている妃付きの女官たちを横目に、ぎこちなく手を上げた。

「そう、そこで両手を上げて腰を折る。もっと美しく!」
厳しい怒声に負けぬように、ぐっと気合を入れて、私は踊り終えた。
息切れが治るのを待って、やはりというか、お決まりの小言が振って来た。私は額の汗を拭いながら、すぐにメモを取り始めた。



「…で、あとは顔。もう少しなんとかなりませんか?」
無茶を言うなぁ…私は呆れを顔に出さず、女官が差し入れてくれた冷たい飲み物で喉を潤した。

「全体的に優美さも足りません。まだまだですねぇ」
「心得ております」
苦笑いで答える。優美さうんぬんは常日頃の課題である。

「思ったよりは良く出来ています。あとは練習を積んでください」
「!?ありがとうございます!」
滅多に褒めない上司の口から出た褒め言葉に驚きながらも、私は今日一番の笑顔でお礼を述べた。








「お妃様、精が出ますね」
広間を出たところで、氾水月に声を掛けられた。

「水月さん、こんにちは」
乱れた髪を手ぐしで直しながら、私はいつ見ても優美さの固まりである、綺麗な顔を見つめた。

「私の顔に何か付いておりますか?」
不思議そうに見つめ返す瞳を覗き込みながら、くす…と笑う。ホント完璧だわ…私は感嘆の息を漏らした。

「いいえ、失礼いたました。水月さんは見習う点が多く、ついつい見惚れてしまいます」
「光栄です。ですがお妃様にはかないません。後宮へ戻られるならば、道すがらお話しいたしても?」
「もちろん」

二人並んで歩く。
今朝も快晴で、絶好の練習日和だ。そう言うと大袈裟に感心された。

「素晴らしいです。私などお天気が良ければ良いほど、気候が良ければ良いほど、仕事から足が遠のきます」
水月は遠い目をして答えた。
私は苦笑を浮かべ、相変わらず自由人の発言だな…と、逆の意味で感心した。

「練習は順調のようでよろしいです」
「はい、やっと本日、李順殿から了が貰えました」
「それは喜ばしいことです」

ここ数日、練習に明け暮れていたせいで、身体の節々が痛い。今も腰の関節が傷んでいたが、気合で笑顔を見せていた。
常に笑っていてほしい…普段望みの少ない彼が、私に言ってくれた。今はそれを守りたいと頑張っているのだ。


「もう、いよいよですね」
「え、えぇ…」
水月のにこやかさに反して、私は浮かない顔で頷いた。
いよいよと言うのは、必死で練習しているこの舞のこと。そう、いよいよ披露する日がやって来たのである。

「使者の方のおもてなしというのも、たいへんな重責でしたね。お疲れ様でした」
「私など、皆様に比べると何のお役にも立てておりませんから」
「とんでもありません。お妃さまあっての陛下です」
水月の心からの言葉に、私はほっと息をついた。

突然の使者のもてなしの命を受けて、最初こそ慣れない役目にあたふたしたが、なんとか今日まで全う出来た。

そう、この舞を踊り終えて、やっと使命が終わるのだ。
白陽国に使者がやって来てから半月を迎え、帰路へと旅立つ前に最後の宴を催す。その国賓への宴に、妃が舞を踊る。
最初聞かされた時には、およそ日常と掛け離れた慣習に絶望したが、妃である以上は仕方ない。
絶望もそこそこ、腹をくくり練習を始めてから今に至る。

まるで走馬灯のようにキツい練習の日々が思い出されて、私は身震いを起こした。

「お寒うございますか?」
「いいえ、大丈夫」
相変わらずの天然発言を軽く流して、私は舞に話しを戻した。

「やはり踊りは苦手です。紅珠のように優美に動ければ良いのですが…」
「妹は舞や唄や楽器など、昔から手際よくこなしておりましたが。一生懸命さに勝るものはありませんよ」

「そうですね。それにこれで最後ですから、やっと肩の荷が下ります」
このもてなしの集大成。だけど完璧にはほど遠い、そう言うと、お妃様らしく、と励まされた。
最近よく言われるなぁ…私はほんのりあったかくなった胸に手を当てながら、お礼を述べた。

「あぁ、噂をすれば…」
水月の言葉に目を向けると、その先に使者たちの姿が見えた。

「お散歩でしょうか…随分この王宮を気に入られたようですね」
庭を眺め、にこやかに談笑するお二人の姿に、私は笑みをこぼした。

おもてなしを任されている関係で、使者たちとはよく話すが、そのたびに庭や宮を褒めてくれる。南の国には無いものだらけ…と目を輝かし話す姿が思い出される。よほどお気に入りのようだ。

「先日、軍の視察に同行なされた際も、闊達に議論なされていたようです」
「まぁ、喜ばしいことですね」

友好国から同盟国へ。
そのステップに良い兆候だ。きっと今回の目的とされる南の交易路の確保も順調に進んでいるのだろう…そう呟くと、水月は苦い顔をした。

「どうかなさいましたか?」
「若い方には全てが新鮮に映るんでしょうね…」
水月からため息が漏れる。
「?」
確かに使者の割には若い二人だ。
遠目でも年若い横顔が窺える。年が近いおかげで、下っ端妃の私にも気さくに接してくれる良い青年たちだ。ずっとそう思っていたが、違うのか。

「まるで水の流れのように、風のせせらぎのように気まぐれな方々です。陛下は気苦労されておいでですよ」
「そう…なのですか」
それは初耳。すべて順調だと思っていた心に陰りが射す。

「交渉が上手くいっていないのですか?」
「いいえ。上手くいっていないわけではないのです。約定の取り交わしには前向きです」
「じゃあ…」

何が問題?

「進まないのですよ、一向に。これほど時間が掛かるのも稀です。これでは旅立ちの宴までに詳細に決まるかどうか…」
「そんな…」
ここへ来て、衝撃の事実に言葉が出ない。陛下から命を受けてからずっと、彼らをもてなして来たのに、そんなそぶりは露ほど見せなかった。
やはり、自分は何も知らされていなかったということか。










「本日はご気分がすぐれませんか…?」
「え?」
話しかけられていることにはっと気づき、私は顔を上げた。

不思議そうに向ける二つの目線を軽く流して、私は元通り妃スマイルを浮かべた。

「いいえ、ちょっとぼうっとしておりました…」
しまった、しまった。
心ここにあらず…使者の前で失礼な態度を取ったことを恥じながら、優雅な仕草でお茶の入った杯を傾ける。

使者二人とのお茶会。
もう日課となりつつあるこの会は、本日、春風が心地よくなびく庭に面した四阿で行われていた。

「練習疲れでしょうか、お妃さま御自ら舞っていただけるなんて光栄です」
「本当に、とても素晴らしい時間になりそうですね」
「いえいえ…」
ハードルを上げるような使者の言葉に、私は肩をすくめた。

「楽しみですね…」
にこやかに談笑するお二人の傍らで、内心の思いはひた隠しにする私。
妃自ら舞うのは、伝統であり慣習のため避けられないのだ。と言ってしまえれば楽だが、そうもいかずに私は微妙な表情ではにかんだ。

「それにしても、今日は一段と顔色が悪いにように窺えます。いかがなさいましたか?」
どきり、と鼓動が跳ねた。原因は水月の言葉であるが、内容が内容だけに素直に答えられない。
思い切って聞いてしまおうか…出逢った頃より随分と打ち解けた関係を前に、私は逡巡する。

「……」
うんうん一人悩んでいる最中、そんなことなど知らぬ存ぜぬの使者たちは、さっさと話題を変えてしまった。残念とため息を吐きながらも、ほっと安堵する。

国政の話など、出来れば話題にしたくないのが本音だ。

暖かな日差しが差し込む四阿であったが、私の顔色は赤くなるどころかますます白くなっていったようだ。使者たちが本気で心配し出した。

「お妃さま…春先とはいえまだまだ寒うございます。無理に私どもに付き合わなくてもよろしいですよ」
「埜坦の言うとおりです。私どもはこうやって庭を眺めているだけで、十分なもてなしを受けておりますから」
「……えぇ、大丈夫ですよ」
お言葉に甘えてここで退席してしまっては、怖い怖い鬼上司に何を言われるか。想像して震えが来た。
水月のおかげで、思わぬところで最近の彼の不機嫌さの理由が分かった今、余計退席しにくい。
いつもの練習後に、決して機嫌が悪いわけではないのだけれど、使者の話題で苦い顔を浮かべていたのが思い出される。

やはり妃の私が、約定が進まない理由を聞くべきであろうか…巡る巡る思いの中、考えを深め過ぎて本当に頭がくらくらしてきた。

「あの!」
ええい、女は度胸!
私は二人に向き直る。その瞬間、二人の表情が強ばった。

「?」
まだ何も言っていないのに…と不思議に感じた私の頭上に、ひやりと冷気を含んだ声音が降ってきた。

「妃よ…」
「……」

あぁ。
今一番来てはいけない人物の登場に、私の顔色はますます悪くなっていった。









「今日は良い日和ゆえ、お妃さまと談笑しておりました」
丁寧に礼をとる二人に、陛下は氷のような微笑を向けた。

「それは重畳。妃と親密にしていただき嬉しい限りだ」
嬉しいのなら、嘘でも嬉しそうな顔をすればいいのにな…そう思うのはきっと私だけではないだろう。
陛下はいつの間にか私の肩を引き寄せ、使者との間合いを空けている。まるで嫌っている人物の前で取る行動だ。分かりやすい行為に、私は苦笑した。

私の知る彼は、記憶をなくす前であっても、決して他人を信用しない。誰よりも尊い立場に居るというのに、尊さを崇める人間を遠ざける。敬う人間に背を向けてしまう。

孤高の王。そのイメージは今も色濃く残り続ける。やはり昔から変わることなく、確乎として確立していたのだろう。
決して人間嫌いではないのに、他人を寄せ付けないオーラを纏っている。だからいつも孤独だ。孤独を標準装備することで、人々はさらに彼を尊ぶ。

でも、私だけは少しずつ受け入れられていると感じていた。少しずつ…まるで雪解けを待つ蕗の薹のように、彼の心に信頼という名のぬくもりを与えたい、そう願ってやまなかった。

「夕鈴…」
陛下の呼びかけで、思考は中断した。

「楽しそうにしているが、少し顔色が悪い」
「あ…」
どうやら一瞬見ただけで分かるほど、私の顔色は悪いらしい。

「さきほど使者の方にも言われました」
しょんぼり肩を落とす。顔色の悪さを指摘されたにもかかわらずこの場に居るのは私の意思であることを、しっかりと陛下に訴えなければ。そんな思いでおおげさに振る舞う。

「ならば戻るべきであろう」
陛下はため息交じりに答えると、目にとまらぬ早業で私を抱き上げた。そのまま使者には何も告げず、くるりと背を向ける。

「え、あの…っ」
慌てて声を上げ使者たちを見やるが、次の言葉が出て来ない。結局何も言えないまま、彼らから遠ざかってしまった。

後宮に足を踏み入れたところで、陛下が私をそっと降ろす。
表情が少し和らいでいるのを確認し、私は口を開いた。

「あの…使者の方に少し失礼ではありませんか」
「このような状態の君を放っておく方が失礼だと思うが」
陛下は間髪入れずに答えると、私の額に手の平を寄せた。
じんわりと暖かさが伝わり、目を閉じる。まるで大きなぬくもりで包まれているかのような…そんな感覚だ。ほっと安心した私は、そのまま動きを止めた。
彼もまた、随分と心開いてくれたものだ。そう感じていたところ、深く息を吐く音が聞こえた。

「……」
「……君は…随分と無防備だな」
「……え?」
ぱっちり目を開けると、苦虫をかみつぶしたかのような表情を浮かべ、陛下がこちらを見下ろしていた。

「仮にも妃だ。しっかりして欲しい」
「な!?」
何を。急に現れて、かっさらって、使者に失礼な態度をとって、最後に私への文句!?
こっちは真剣に悩み、心憂いていたというのに。

「失礼な、私はこれでもしっかり者で通っていますよ!!陛下こそ、しっかりしてくださいよ!そんなんだから…」
そんなんだから…勢いのまま言ってしまったが、次が出ない。

「……」
「記憶が戻らない…か?」
「え……」
今なんて。

「ちがっ。違います!」
そんなこと言わない、言うつもり無い。
陛下はふいっとそっぽを向くと、分かりやすく私を拒絶した。
「……っ」
何よ。そんな、そんなこと言って。

「もうよい。部屋に戻ろう」
手を引っ張られたが、私の足は地に張り付いたかのように動かなかった。

「夕鈴?」
「……ます」
「え?」
「違いますよ、陛下。私はそんなこと言いません、だって思ってもないから」
低い低い声音が響く。こんな低い声が出せるものかと、自分でも驚いたほどだ。

「そんな風に考えたりしない。記憶があろうが無かろうが、あなたはあなただから」
何度言えば伝わるのか。いい加減、分かって。私は彼を正面から見上げた。
どうか拒絶しないで。慣れてしまわないで。私は…あなたのことが。

「あなたは、あなたです」
「……」

陛下はしばらく黙ったまま、ゆっくり呼吸を繰り返し、大きくため息をついた。

「また…だ」
「……」
「また、やってしまった。すまない」
「……いえ」
素直な陛下につられて、私は恥ずかしくなった。顔が熱くなる。
「君は、いつもどんな時でも君だな」
「?」
陛下は一瞬だけ笑顔を見せてくれたが、すぐに真顔に戻ってしまった。

「どうやら…私は私が思う以上に、今の状況が気に入らないらしい」
「え?」
「君から、私の知らない私を聞くたび、気が焦る」
「……?」
陛下はゆっくりと手を伸ばすと、私の髪に触れた。指先で一筋すくうと、薄い唇に押し当てる。
私は、息をのんだ。
この仕草、この目、この距離、すべて記憶に残るあなたの姿だ。

「……夕鈴」
「……はい」
「…泣くな」
「え?」
無意識に涙を流していたようだ。涙腺の痛みと共に、目の奥がじんわり熱くなる。

「あ…ごめんなさい」
久しぶりに与えられた行為に、泣き出さずにはいられなかった。あなたは、あなただ…そう言った気持ちに嘘偽りは無いが、どこかで記憶が戻るあなたを望んでいる証拠だ。

陛下はしばらく無言で見つめていたが、ゆっくりと私の額に額を寄せた。
ふっと降りてきた陰に、鼓動が波打つ。
なんと懐かしい。彼の香りが、ぬくもりが私を包む。
このような近距離は、仲良し夫婦を演じていたあの頃でも滅多に無い。恥ずかしがる私に遠慮して、ふたりきりのときは、陛下は控えめに演技していたから。

涙で霞む視界の先に、陛下の端正な顔が窺える。
夢の続きを見ているようだ。

まるで。

この後の展開に否が応でも期待が膨らむ。

子犬の彼が微笑んで、そして、私は…。



両肩を掴まれ、ぐいっと後ろへ身体が引いた。
「きゃっ!?」
突然のことに、声を漏らす。二人の間の距離を空けられ、すぐそば近くにあったぬくもりが消え去っていく。
驚き見上げた陛下の顔は、真っ赤に染まっていた。

「すまないっ」
「……へ?」
「君の許可も得ずに…」
許可?何の許可がいるのか、いつも勝手に演技してたくせに。

「……ぷ」
なんだかおかしくなって吹き出してしまった。この態度は新鮮だ。
私がけらけら笑う間、陛下は片手で顔を覆っていた。何か言いたそうにこちらへ視線を投げているが、大きな手でも隠しきれない朱色の顔が覗いて見えて、直視できなかった。

「笑わないでほしい…」
「っ、すみませ…っく」
ははは…我慢出来ずに声を上げる。

あぁ、陛下だ。

私の大好きな陛下。

夢の中でも、いつも思っている。
一人で居ることに、慣れてしまわないで。
理解されないと、切り捨ててしまわないで。
ここに居ることを、忘れないで。


「許可など要りませんよ、狼陛下」
「しかし…」
「私はいつでも、あなたを全面的に信頼しておりますから!」
拳を握りしめて、高らかに宣言する。いつでも、どこでも、私はあなたの味方。狼陛下の花嫁だ。
たとえ周囲が敵だらけでも、孤立無援であっても、この身ひとつであなたの味方。

「ふ…そうだな」
陛下が笑う、夢で見たときより優しく。

雪解けはもう間もなくだと、彼の瞳が語ってくれているようだった。










狼陛下の寵妃として過ごして幾数月。
数え切れないほどの贈り物をいただいていたが、使う機会はほとんど無かった。
大半は丁寧に宝物庫に運ばれて、今日まで日の目を見ずに保管されていた。
だが、今日はやっとそれをお披露目できる。

私は、徐々に重量の増していく自らと戦いながら、毅然と宴の出番を待っていた。

「馬子にも衣装ですね」
「恐れ入ります」
上司の嫌みを受け流し、これで最後です…と刺されたかんざしを受け入れる。最初こそ、この重たい身体ではたして舞えるのだろうか、と懸念していたが、全部纏ってしまうとさほど苦にならない重さであった。
こういう衣装を着る機会も増えたおかげで、身体が慣れたのかもしれない。

「ステップ、間違えないようにしてくださいよ」
最後の忠告に、私は笑顔だけ見せると、舞台袖から宴の様子を覗いた。
酒宴は盛り上げっているようだ。使者たちのほがらかな表情が窺える。
あれから一度も約定の話をすることは出来なかったが、無事取り交わしが済んだのだろう。陛下も気分良く、杯を傾けているように見える。何もかも順調、あとは私が舞い終われば、この重責から解放されるはず。

ほっと息をついたタイミングで、李順からも同じように息を吐く様子が見えた。

「おつかれまでした、もう間もなく終わりますね」
慰労の言葉のつもりであったが、李順の表情は芳しくなかった。

「まだ終わってませんよ」
「……この酒宴で最後では?」
帰国する前の宴ではなかったか…私は遠い記憶をたどる。
「確かに、この酒宴でもてなしは最後ですね。だが、大事なことがまだなのですよ」
「?」
「肝心の、絹の交易の取り交わしが済んでいません。あのような無垢な顔をして…とんだ食わせ物ですね」
李順は眉根に深くしわを刻みながら、吐き捨てるように言い放つ。
「え!?まだなんですか」
驚いた。まさか、まだだったとは。水月から様子を聞いてから、随分と経過したように思う。
「まだです。私には、あのお二人の考えが分かりません。陛下も、何もおっしゃらないし…何のためにお金をかけて使者を招待したのか…ったく、この豪華な宴も…」
ぶつぶつと独り言をつぶやいている間、私は考える。

確か、約定の締結には前向きのはずではなかったか。何が彼らの気持ちを留めているのか。
陛下に対しても、特別折り合いが悪いとも思われない。

宴席を見守る私の視線は、不思議な気持ちでいっぱいだった。









宴は無事終わった。
今夜のフィナーレである舞は、完璧ではなかったが可もなく不可もなく、まあまあ平凡なできあがりであった。
おおげさに褒める官吏たちの態度が多少いたたまれなかったが、私の心は達成感で満たされていた。

「綺麗だった」
「まぁ、ありがとうございます」
にっこりと、横に立つ陛下を見上げる。まだ部下たちが多く残っている広間のため、妃口調のまま答えた。

退席の挨拶のため、使者たちが目の前に現れた。事情を知った手前、微妙な雰囲気の流れを感じてしまうのは、きっと私だけであろう。お互いに表面上は柔らかに話しをしているように見えた。

「本日は、素晴らしい宴席にお招きいただき、恐悦至極に存じ奉ります。また、お妃さまにおかれましては、優雅な舞をご披露なされたこと、感嘆に堪えません」
「ゆるりと過ごされたようで何より。貴殿同様、私も賞賛している。共に宴に臨席できたこと、嬉しく思う」
陛下は眉ひとつ動かさず言う。いつものことだが、もう少し感情が顔に表れても良いと思う。
「短き滞在でしたが、広く見聞を深められましたこと、光栄の限りでございます。これで大手を振って帰国できまする」
使者の言葉に、どきりとした。
彼らを送り出す宴ではあったが、本来の目的も達成せずに帰ってしまうのか。こちら側にはもちろんのこと、彼らにも禍事ではないのか。

「……あの」
口を開きかけたところで、後方から声が掛かり、慌てて振り返った。
「国王陛下、お妃さま。ご退席の刻にございます」
李順だ。
わざと話を折るタイミングで話し掛けてきたように思えて、私は顔をしかめた。
妃が余計なことを言うなと、牽制されているようだった。

「……」
陛下は分かった、と一言だけ呟くと、李順の誘導で使者たちに背を向けてしまった。
私は慌てて会釈すると、陛下に続いて仕方なく、広間から退席した。







余計なことをするな、言うな、告げるな。
あの後、鬼上司にさんざん言われたにもかかわらず、私の心は、取り交わしがなされない約定へと傾いていた。
詮なきこと…と思う反面、彼らの真意を知りたいと興味は増すばかり。

最後の挨拶に来られたとき、ついに私は我慢出来ずに核心に触れてしまった。

急ぐ使者を足止めし、ちょっとだけ時間をいただいた私は、使者たちが一番のお気に入りにしていた庭園へと案内する。

ここはいつも、肌を撫でるような柔らかい風が吹いているため、表情が勝手にほころぶ。

「名残惜しいばかりです…このような素晴らしい大庭園、もう拝めないでしょう」
使者も同様の気持ちのようだ。優しい表情が物語っていた。
「気に入っていただけて本当に嬉しい限りです。私もこの場所にはいつも、癒やされ、励まされ、和まされ、本当にお世話になっておりますわ」
そう言うと、使者たちはうんうんと同意してくれた。

「いつも優しく明るいお妃さまに、我々随分と救われました。今日まで滞在できたのも、お妃さまのおかげ」
「そんな…」

「後宮で、心憂いる事も多いでしょう。お妃さまを本当に尊敬します」
「……なぜ、そう思いますの?」
ふいに漏らした疑問であったが、一瞬使者たちの顔がこわばる。
「我々は滞在中、冷徹な君主の前で恐れ嘶く臣下たちを見て参りました。そば近く仕える者たちも畏怖を抱いているに違いない。そう思うからです」
「……」
私と話すのも最後だからか…、初めて心の内を見れたような気がする。私はゆっくりと、使者たちに向き直った。

「約定を交わされない理由も、“彼”ですか?」
「……えぇ、どう言えばいいのでしょう」
使者のひとり、年長の埜坦がため息をつく。

「聞かせてくださいませ。はるばるお越しになられて……私には分からないのです」
「……」

分からない。私には理解の及ばないことかもしれないが、聞きたい。
せめて使者たちが悔いることのないよう、その真意をくみ取りたいと願う。


「絹は、我が国が世界に誇る産物です」
「はい、存じております」
上質な絹は誰もが欲しがると聞く。その価値は黄金に類し、算出の少なさに、どの国でも重宝されて来た。その絹を狙い、古代より戦が絶えない不運な国であるのも、またしかり。
強固な城壁で堅め、精強な部隊で守り、ずっと昔より、共に生きていくのを運命として受け入れてきた。

それが成丹国だ。

近年に入り交易が盛んに行われるようになったが、それでも近隣国ばかりで、遠く離れた外国へ流通することは稀であった。だから今回の約定は、成丹国にとって初めての試みであったのだ。

「滞在中、ずっと見ておりました」
成丹国の歴史を語り終えた埜坦は、遠い目をして語る。
「この国を。国王を。そしてあなたを」
「……私?」

「お妃さま。あなたは実にお優しい。国思い、陛下思いの理想的なお妃さま。それに我々振興商人にも分け隔て無く接するそのお心の清らかさ。まことあなたのような妃が居るこの国を、羨ましく思います」
べた褒めに赤面する。妃としてけなされることはあっても、褒められたことはほとんど無いため、こういうときどう反応して良いか困ってしまう。
私がもじもじしている間も、埜坦は話し続ける。

「だが、あの方のイメージは、何ひとつ変わらない。人々から伝え聞く噂そのままに、冷酷非情の狼陛下」
「……っ」
冷酷非情を売っている、誰もが恐れをなす強い王を演じている、私は分かっている。でも心が痛むのは、誰も本来の彼を見ていないから。

「この王宮に生きる人々からはあまり“色”を感じない。私にはすべて灰色に映る、あなたの周囲を除いて。そして、その原因はすべてあの国王であると、私は分かったのです」

「…違います」
違う、違う。だけど、どう違うのか、何ひとつきちんと反論できやしない。

「彼からは人間らしさを感じません。それが約定を交わさない最終的な理由です」
「……」
肩を落とした。
力の抜けた足を踏ん張り、私は使者の言葉を受け入れる。

人間らしさを感じない…か。私も最初はそう思った。
でも、彼はひとりの人間。国王という肩書きで、窮屈さも不憫さも不自由さも、すべて毅然と背負う、ひとりの青年だ。

一人で居ることに、慣れてしまわないで。
理解されないと、切り捨ててしまわないで。
何度も何度も訴えても、自らを大切にしない、顧みない、そういう人だ。


境遇がそうした。周囲がそうした。宿命がそうした。
生きていくための必然だから。

だけど。

“人間らしくない。”
それは、彼を表す言葉では無い。






「違います!」
叫んだ。
突然大声を出す妃に、使者たちは驚きたじろいだ。

「あ…ごめんなさい」
慌てて謝罪する。だけど叫ばずにはいられなかった。ゆっくり深呼吸すると、意を決して彼らを見上げた。

「陛下は、国の礎です。重責を一心に背負う孤高の王です」
「それは…」
「だけど彼は人間です!いっつも遠くに居て、わたし、妃なのに…彼のなんにも役に立てなくて」

境界線の向こうに立つシルエット。

長身に濃紺の衣。漆黒の髪と紅い瞳。寂寥を絵に描いたようなあなた、だけど…

「私にはいつも優しくって…」
優し過ぎて、何も知らされない。何も立ち入らせてくれない。あなたに必要とされることを、どれほど望んでいるか。
あなたが独りで居れば居るほど、私も独りを感じるのに。

「私は下っ端妃です。政治の話には、いっつも蚊帳の外です!」
「お妃さま…」
「だから、あなたがたのもてなし役を拝命されたとき、心底嬉しかったんです」
たとえ、記憶を無くしたあなたから受けたとしても。

「いつも願ってる、役に立ちたい、必要とされたい。そばに居て支えたい。共に居たい。嬉しいときも悲しいときも苦しいときも幸せなときも、その気持ちを分かち合いたい、一緒に!」
「……」

使者たちが驚き言葉を失っていた。
だが止まらない。
止められない。これを言わないと。

「彼は人間らしい人間です!私にこうまで思わせてしまうんですから!!」

はぁ、はぁ…と肩で息をした。
強引に叫び切ったおかげで、呼吸は乱れに乱れていた。軽く貧血を起こしたかのようにめまいを起こしたが、ぐっと膝に力を入れて彼らの前で直立した。

「……」
使者たちの様子に気を向けることが出来なかったが、二人、無言で顔を見合わせているようだった。

「……」
「……」
静寂さの中で、自らの呼吸音だけが響く。

「……」
酸素が戻った脳が回転を始め、じわじわと…恥ずかしくなってきた。
今更だが、すごいことを叫んだんじゃないかと、だんだん気まずくなる。

「あの……」
「は、はい!」
弾かれたように返事すると、使者たちが苦笑した。

「お妃さまの気持ちは良く分かりました」
にっこり微笑まれて、肩すかしをくらう。不躾な妃だと、ののしられることを半ば覚悟していたというのに。
この空気感に、どこか居心地の悪さを感じた。

「これほど思われて、羨ましい限りです」
「私もこのような方を、妻に迎えたいと願うばかりです」
「……?」
私への言葉にしては、おかしい。

やっと落ち着きを取り戻し視点の定まった私は、顔を上げる。使者は両人とも、深く頭を下げていた。

「あのっ。顔を上げ…て…」

「……」
あ、やだ。嫌な予感。誰かの気配に振り返る。さっきまでここには無かったはずの気配だ。

鮮やかな濃紺が視界の先で舞っていた。黒髪の奥に冴える瞳が、真っ直ぐ私をとらえている。
どうしてこうも絶妙なタイミングで現れるのか。まるで計ったかのように…。

「へ、いか…」
……まさか聞いてたの?

「いつから…」
「大きな声に、思わず現れてしまった」
陛下は立ち聞きを否定せず、私たちに近寄って来た。一歩一歩と、足音が近くなるたび、収まったはずの鼓動が波打つ。
聞かれていたの、あの告白を。

一緒に居たいとか、分かち合いたいとか。あのような赤面もののセリフを聞かれていたというの?

ど、どうしよう…。

まためまいを起こし、私は後ずさる。とにかくこの場から離れないと、誤った思考が足に命令を下すと、駆けだして行く。

「夕鈴!」
「ご、ごめんなさ…」
見事な言い逃げをやり遂げた私は、無我夢中で庭を駆ける。

めまぐるしく変化していく両端の景色は、少し前の追いかけっこを彷彿させた。
今回ばかりは、駆けている間に、気持ちが落ち着くとは思われなかった。

「夕鈴!!!」
「……っ」
お願い、今だけは追いかけないで。来ないでよらないで。絶対に話の通じない相手を前に、逃げるスピードは増していく。

「夕鈴、待て!」
やだやだ。追いかけないで!
あんなすごいことを叫んだ後で、あなたと冷静に向き合えない。

だが私の思いは叶わず、ちょうど橋にさしかかったところで、陛下に捕まった。
手を堅く掴まれて、これ以上前には進めなかった。空を蹴る足が、徐々に力を失っていく。

「やだ!話してっ」
「夕鈴、落ち着いて」
落ち着けるか!勢いで叫んでしまいたかったが、そうもいかず。無駄な抵抗を繰り返す。

「離しっ」
どんっと陛下の胸を両手で押す。力任せに押したせいで、ぐらり…と身体が傾いた。

「夕鈴!?」
「…えっ」
「っっつ」
視界が反転する。

まさか…と思ったときには、すでに身体は橋の上には無く、冷たい水の中をもがいていた。






水の中に落ちたのは二度目だ。
あれは紅珠と居たとき。橋の上で彼女の泣き叫ぶ声が聞こえた。
手足を大きく動かして、もがいてみたが、上か下か方向が分からず余計苦しいだけであった。

纏わりつく衣服が邪魔で、上手く泳げない。こんなに裾の長い衣装を着ている自分が、分相応だと突きつけられているように感じて、水の中で枯れた涙を流したのを覚えている。

あのときと同じ。
また分相応だと、言わんばかりの状況。



「!?」
ぐいっと、どこからか引っ張られる。落ちていく身体が急な速度で浮上する。
水泡が視界を遮っていたが、誰が迎えに来たのか私には分かった。


「ごほごほ…っ」
水から這い出た私たちは、岸辺で息を整える。
「また…君は、無茶する」
「……すみ……せん」
彼の役に立ちたいと言ったそばから、迷惑かけてどうする。深く反省しつつ、陛下の表情を確認する。
怒ってはいない。感情に激してもいない。ただ…悲しんでいるように見えた。

「二度と、こんなことをするな」
ぎゅっと陛下が抱きしめる。冷たく濡れた衣の上から、ほんのり温度が伝わる。
「……」
本当は二度目だけれど、初めてということにしておこう。
私は胸の中でこくりと頷いた。



橋の上から使者たちの大声が降って来た。

「大丈夫でしょうか!?」
「お妃さま!ご無事ですか!!」

「……」
あぁ…使者の前でなんという失態だろう。また、上司が激怒する姿を思い浮かべて、私は深くため息をついた。






夢を見ていた。

陛下の優しいまなざしに、心が満たされる。
“夕鈴”と名を優しく呼ばれて、笑みを浮かべてやってくる。

あぁ、記憶が戻ったのね…

夢の中の私が笑っていた。







「……へいか」
目覚めると、見慣れた天井が見えた。

どうやら涙を流していたようだ。瞳を覆うしめっぽさと、濡れた衣が語っていた。

「……」
未練がましい。記憶が戻らなくてもあなただ、などと偉そうに口語しておいて、こんな夢を見るんだから。

身体がだるく重い。どうやら熱もあるようだ。春先とはいえまだ冷たい水の中に入ったせいかもしれない。

今は、どれほど経過したのだろう。

部屋には私以外に人影はなく、聞ける相手のいない状況に焦りが募る。
ふと、寝台横の小机に封書を見つけた。綺麗な上質紙に、誰からの手紙だろうと首をかしげる。
指先でそっと開けて、封書を開封する。
達筆な文字は、“お妃さまへ…”と始まっていた。









私は走っていた。

髪が乱れて、かんざしも傾いていたが、気にせず走る。
額に汗が浮かんで、呼吸が苦しい。それでも足を止めることはなく走り続ける、手に封書を握りしめて。

ばんっと荒々しく扉を開けた。王宮の西端の書庫だ。

たまたまそこに居た官吏が驚いていたが、詫び入れず入室し、目的の人物を探す。
「陛下は?」
「あ…の。お妃さま…え?陛下?」
官吏の呟きにここには居ないことを悟った私は、すぐに背を向け走り去る。
もう一度政務室に戻って、そこにも居なかったら今度は王宮の部屋に押しかけよう。
そう堅く決心し、目にもとまらぬ早さで王宮を駆け抜ける。

まるで、あの頃のようだ。

陛下が落馬して負傷したと、知らせを受けたあのときのよう。
唯一違うと言えば、私に悲壮感はなく、とても晴れやかであること。


今日と同じように。
雲ひとつなく晴れわたる空のように。





政務室に戻ったところで、方淵と水月に逢った。

二人とも汗だくの私を不思議そうに見ている。

私が息を整えている間、その様子を見ていた官吏のひとりが水を持って来てくれた。
お礼と共に受け取り一気に飲み干す。空になった杯を返しながら、大きく息をついて口を開いた。

「陛下は…陛下はどちらにいらっしゃいますか?」
「四阿でお待ちです」
「そうですか……って、え!?四阿?」
顔を見合わせる。

「さきほどそう言い残して、退席なさいましたが…」
「お約束をされていたのではないのですか?」
水月が首をかしげる。

「約束…してません!」
え、したっけ?覚えてない。

「落ち着け。とにかく、これ以上陛下をお待たせするな」
方淵の冷静な切り返しに落ち着いた私は、こくりと頷く。

「行ってきます!」
背後で、方淵の怪訝な声と、水月のくすくす笑う声が聞こえた。





二人の言うとおり、陛下は四阿に居た。

休憩しているのか…椅子に腰掛けぼんやり空を眺めている。
声を掛けるのをためらっていたら、すぐに陛下が振り返った。

「夕鈴、ここへ」
「あ…はい」
拝礼して足を踏み入れる。陛下の表情はどこか晴れやかで、ここへ来てやっと、この封書の内容が真実であると確信出来た。

「あの、使者の方たちからお手紙が…」
「手紙?」

「やっ約定!!」
私の叫びに、陛下がふっと笑う。

「君のおかげだ」
「いえ…私は何も…」
正面から褒められ、赤面する。陛下からの賛辞がこんなに嬉しいなんて…。

陛下は腰を上げると、私の前に立った。

「無事、約定を交わすことが出来た。使者殿が、君へお礼を述べていたよ」
「……」
使者の手紙は、無事約定を取り交わすことができ、これから帰国する旨書かれていた。

「夕鈴…」
「私はただ…」
何もしていない。ただ叫んで水の中へ落ちて…。ん、叫んで?
「…っ」
そうだ、思い出した!私ってば恥ずかしいことを、陛下に、恥ずかしいことを叫んでしまったんだ。

きゃー!!!

ここへ来て、顔が熱くなる。今まで完全に忘れていた自分が情けない。顔を袂で隠して、私は彼の視線を避ける。
対する陛下は特に表情を変えずに、私の百面相を見つめていた。

「夕鈴、顔が赤い」
「え!あ、赤くなんて」
「まだ熱があるのか…」
陛下は私の額に手の平を当てた。ひんやり冷たさが額を覆う。

あ…気持ちいい……じゃなくって!!
「ああ、あのあのあの…だ、大丈夫…でっですからっっ」
「だが…まだ熱があるんじゃ」
「は、離し…」
やばい、これ以上近くに居ると、顔から火が出そう。一歩後ずさったそのとき、陛下の腕が伸びて来て、胸の中に取り込まれてしまった。
「!?」

「……」
「えーっと、えっとえっと、へい…」
「無茶はするなと、言ったよね?」
うぇぇ!怒ってる!?
陛下が私の顎に指先を当てると、そっと目線を合わせた。端正な顔が目の前にあるだけで、私の心臓は飛び出てしまいそうだった。

「っごめんなさい」
「許さない」
「……っ」
本気で怒っているのか分からないが…陛下はすっと瞳を細めて、私を射貫くような視線を向けた。
息を飲んで次の展開を見守る私の心情は、恐怖と愉悦の狭間で葛藤していた。

「…橋の上から落ちて、怪我でもしたらどうする」
「それは…すみません。でも、私丈夫ですからっ」
拳をぐっと上げて宣言する。昔から、丈夫さがとりえだ…と言うと、大きなため息が聞こえた。

「すみませんっ」
余計なことを言っちゃった。すかさず謝り、その場を取り繕う。

「君には自覚が足りない…」
「……」
「足りない…な」
これは、、、相当おかんむりかも。
妃の自覚が足りていないのは重々承知で、李順からもいつも小言を言われては自省しているが、陛下から言われるとよりショックが増す。

「落ちたことは、反省しています。でもあのときは、どうにもならなくって…」
まだまだ心が弱い証。プロの臨時花嫁として認識が甘いのだ。

「私っ、これからもっとがんばって演じます。誰から見られても本物の妃と遜色ない、あなたの花嫁として…」
「がんばる必要なんてない」
「……え」
どういう意味…?

「これ以上、がんばる必要はないよ」
「それって…」

それって…、クビってこと!?私は驚愕し、顔を落とす。

彼が記憶を無くしてから、いつこんな日が来るかと、恐れていた。まさかこんなに突然に、やってくるとは。

「夕鈴」
「わ、分かり…ました」
でも、あなたを思ってやったこと、後悔はしていない。
私は左右に頭を大きく振ったあと、陛下をぐっと見据えた。いや、睨んでいたのかもしれない。いつも冷静な瞳の奥が一瞬揺れたように見えたから。

「夕鈴、分かっていないだろう」
「分かってますよ!私はすべて、お見通しですから!」
ショックを通り越して怒りの気持ちが芽生える。彼はまったく悪くないが、目の前に居るので、当たらずにはいられない。

「なぜ怒る。やっぱり分かってない…」
陛下は呆れ混じりに言葉を吐くと、私の髪に手を伸ばした。伸ばされた手を、勢いのままぱんっとはたく。
しまった…と思ったが時既に遅し。もう後戻りできなかった。

「私!後悔してませんからっ」
「は!?」
「荷物まとめて、明日には出て行きますっ」
くるりと反転する。まるで使者に披露した舞のように軽やかで、自分でも驚くほどだった。あぁ…舞が身体にしみついてる…などと感心している場合かっ。

私は逃げるために長い裾を手で持ち上げた。

「夕鈴っ。誤解だ」
「大丈夫ですからっ」
「何を…あぁ、もう」
陛下の嘆き声が響いていたが、踏み出した足はすでに引っ込みが付かなかった。

「何度言ったら…君は分かる」
陛下は一瞬で私の前にまわると、退路をふさいだ。

「!?」

「君が私の妃だ!!!」

「……」
「……」
私は、大きく口を開けたまま、固まってしまった。


緋色の瞳が私を捕らえて話さない。
漆黒の髪のその一筋が、風になびく様子でさえ目に焼き付いて離れない。

「夕鈴っ!??」

私は。

やっぱり今回も、腰を抜かしてしまった。








「あの…すみません。取り乱してしまって…」
またやっちゃったわ。ホント情けない。
深く落ち込んだ私は、陛下に何度目かの謝罪をした。

「いいんだよ、気にしないで」
陛下は、下げられた私の頭を撫でる。

「あの……」
「ん?」
「記憶、戻ってますよね?」
思い切って尋ねる。

「えーー?」
「えーーじゃない!」
私は子犬の姿でとぼける陛下に、声を荒げた。
今日の会話の途中でそうじゃないかな…と思っていたが、結局尋ねずじまいでいた。記憶が戻れば自然と話してくれるだろう…そう踏んでいたが、どうやら甘かったようだ。

すっとぼける様子に、怒りが沸く。

「いつからですかっ。私本当に心配して…」
「ごめんね、夕鈴」
陛下は軽く誤ると、ふわりと私を抱きしめた。まるで空気を抱くように優しくて、怒りが収まっていく。

「やっと思い出せた!夕鈴」
「……良かった、、ですね」
照れ笑いで答える。本当に良かった、けど疑問が残る。

「いつからなんですか!?」
「えっと…君が橋から落ちた時、かな。飛び込む瞬間に、前にも同じ事があったと…そこから鮮明に思い出した」

「そんな前ですか。もっと早く教えてくださいよ」
相変わらず意地悪だ。
熱を出して寝込んでいたとはいえ、今日私に逢った直後に言うべきだ。そう言うと、君を驚かせたくて…とよほど迷惑な答えが返って来た。
「不安なだけですよ!」
「ごめんって。夕鈴、君を思い出せたとき、いろんな記憶が頭を巡って…しばらく整理したかったんだよ」
「私が眠っている間に整理できたでしょう?」
「うん、だから君を驚かせたくって」
にっこりと子犬陛下が微笑んだため、それ以上文句を言うことが出来なかった。

「それで?」
「ん?」
「がんばらなくてもいいって、どういう意味でしょうか?」
「何の話?」
「さっきの続きです!」
「あぁ…」
陛下はしばらく宙を仰いだ後に、私をゆっくり見つめた。

「夕鈴。君は本当にがんばっていた。記憶がない間も、君の姿は心で追いかけていた。僕のことも使者のことも、みんな、君のがんばりのおかげで、今がある。だから、これからがんばるのは僕の方。君を忘れてた時間を取り戻さないとね」
「……」
「夕鈴、僕を許して。君を忘れてた僕を」
「…大丈夫ですよ、私、大丈夫でしたから」
「嘘」
両頬をはさまれ、間近で視線を交わす。彼の瞳に映る私は、泣いているように見えた。

「泣かないで、夕鈴」
「え」

実際泣いていた。涙はとめどなく溢れてくる。泣くつもりはなかったのに…やはり辛さを感じていたのか。

「陛下のばか」
この矛盾した気持ちを全部陛下のせいにして、私は涙を流し続けた。









ここは狼陛下の王宮。

本日も、多数の目がさらされるこの場所で、仲良し夫婦演技は続く。


「ま、まぁ。陛下ったら…」
「やはり照れる様子も愛らしい。もっとよく顔を見せて欲しい」
「……っ」
ちょっとちょっとちょっと!と心の中で大絶叫。記憶をなくす前よりバージョンアップした演技に、私の耐久力は限界を迎えていた。

「み、みなさまがお待ちですからっ」
早く、早く!李順さん止めに来てよ!
周囲に目配せしてはみたが、李順の姿は見えなかった。こんなときに限って居ないなんて、それでも側近か!

「二度と君を忘れないよう、心に深く焼き付けないと」
止まらない激甘演技。
さっきまで居たはずの重臣始め側近たちは行方知れず。甘過ぎて見ていられない…と逃げたのか、呆れて帰ったのか。陛下が無言でプレッシャーをかけるせいで、政務室からどんどん人が退席していた。

「へ、陛下。このままではお仕事になりませんわ」
「ちょうど良い。このまま君と休憩に入ろうか。久しぶりに君と一緒に昼寝するのも良いな」
「そんな…」
絶望声を出してはいけない、と思いつつ、それでもこの後の展開に寒気がした。

「ダ、ダメですよー陛下。一にお仕事、二にお仕事、三に……」
「ふ……」
「……?」
気づくと、ふたりっきりだった。

誰も居ない政務室に、陛下の含み笑いが響き渡る。

「君はパニクると、おもしろいことを言う」
「陛下…」

なんてことっ!またやられたっ!

私は苦い顔で、陛下をひと睨みすると、聞こえるように大きなため息をついた。
記憶が戻ってからの彼は、本当に意地悪で。こうやって記憶ネタでよくからかわれていた。

「いいかげんにしてくださいよー」
「夕鈴。もし君が記憶をなくしたらって考えてた」
「え?」
いきなり何。
真剣顔で話す陛下に、私もつられて真面目に答える。

「僕が逆の立場だったらどうだったかって。心底嫌になったよ、君に忘れられるなんて、とても耐えられない」
「……」
私はよく耐えたものだ、と褒めてくれるのか…と思ったが、違った。

「だから…君が絶対に僕を忘れないように、僕決めたんだよ」
「……何を?」
嫌な予感しかしなかったが、聞かないと始まらない。私は陛下に向き直る。

「もっと夫婦演技を極めようって!」
「……」
あぁ、やはり、私の予感は当たるのね。

「今よりもっと僕と一緒に居る時間を増やせば、たとえ君が事故に遭っても、僕のことを覚えているよね。もちろんっ、君を事故に遭わせるなんてこと、絶対にさせないけど」
「事故に遭ってしまっては、どうしようもないのでは…?」
あなたが実践済でしょう…とは言わない。
「だから遭わせないよ。君の記憶に僕を刻みつけて、僕のことしか考えられないようにしてあげる」
「……っつ!?」
何を言っちゃってるんだか。よくそんな台詞吐けるものだ。

演技じゃないのに、演技みたいなこと。その線引きが出来ないで、焦ってばかりいるのは私ばかりで、悔しい思いをしている。

「君は僕の妃だからね」
「……」
彼が言うと、本当にそうなってしまうんじゃないか…と思う。
記憶に深く刻まれ、焼き付いて、もうずっと彼のことしか考えられなくなってしまうんじゃないか。

怖いけれど、彼が私を忘れなければ、それはそれで良いのかもしれない。

そんな風に思ってしまうのは、きっと彼のせいだ。


「わ、分かりましたよ。お付き合いします!」
やけになって答えると、子犬の彼が心底嬉しそうに笑った。





二次小説84弾完了です
最後まで読んでいただき感謝感激です。ありがとうございました。
ずっと書きたかった記憶喪失ネタ。これにて終わりです。あー書けて満足満足。
いつの間にか陛下の記憶が戻ってましたね~。なかなか言わないところが、やはり意地悪さんです(笑)
気に入っていただけましたら拍手お願いします~励みになります(^∇^)ノ
心残りは浩大。結局登場させられなかった、残念次こそ!!

14:03  |  狼陛下の花嫁  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

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 |  2015.12.03(木) 21:03 |  | 【編集】

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