ミント日和 【狼陛下の花嫁二次小説】
白泉社、可歌まと先生のコミックの二次創作小説を書いてます。 月刊LaLaにて連載中の「狼陛下の花嫁」が中心となっています。
2011.05.30 (Mon)
隣で眠るキミを見てⅡ
Ⅰのつづきです。
すこぶる機嫌の良い狼陛下と、疲れ切った様子の寵姫の姿。
政務室で二極化したふたりの姿を、官吏たちは不思議そうに眺めていた。いつもなら幾度となく響いているはずの陛下の怒声もこの日ばかりは静かなもので、そんな陛下の態度がどこか不安なのか、怒られているわけでもないのに肩をすくめて動向を窺っている様子の官吏たちに、李順は深くため息を漏らした。
機嫌が良い狼陛下も怖いのか…。
いつもと様子が違うというだけでビクビクと怖がっている官吏たちに対して、李順は情けなさを感じていた。
陛下が機嫌が良い理由は容易に想像出来るし、夕鈴が疲れている理由もそれに伴っているため分かっている。全部自分のせいなのだが…これも仕事。バイト風情が何を落ち込んでいるのやら…。
李順はめがねをくいと持ち上げて、肩を落として脱力する夕鈴に視線を送った。
不穏な視線を感じとったのか、夕鈴は李順と目が合うとすぐに姿勢を正して優美なお妃を演じ始めた。
笑顔を保ち続けることに無理を感じたのか、夕鈴はすぐに扇を取り出すと小さな顔をすっぽり覆った。
そんな夕鈴の様子に気づいた陛下が、妃限定の笑顔を向けながら夕鈴に近づいて来た。
「妃よ…どうした?気分が悪いのか」
「いいえ!」
夕鈴は精一杯笑顔を浮かべて答える。
「では寝不足か?昨晩の夜更かしが響いているのか…」
「!?」
夜更かし!?そんなの身に覚えがない。夕鈴は内心の焦りを上手く隠しきれないまま言葉を発した。
「よ、夜更かし…でしょうか?」
語尾が震えている。そもそもなんで一緒に寝てたのか、陛下は笑顔で誤魔化すばかりでちゃんと理由を答えてはくれなかった。
「知らぬふりとは…困った兎だ」
「…な…何を」
知らないふりじゃなくて、本当に知らないんだって。詳しく追及しようと身を乗り出した矢先、陛下の後方でどす黒いオーラを感じ、夕鈴はビクッと体を震わせた。こそっと覗き込むと、案の定怖い上司がこちらを睨んでいた。しかも、方淵と一緒になって。
あのふたり…どこか似てるわね。夕鈴は愛想笑いを浮かべながら、こくりと頷く。
いろいろ聞きたいことは多々あるが…今は、早く政務に戻ってもらわないと。
「陛下、みなさまお待ちですわ」
夕鈴はにっこり微笑むと、戻るように促す。
「……」
陛下は名残惜しそうに夕鈴の髪に触れてから、踵を返して行った。
陛下の背中に向かってほっと息を吐くと、心労が体中を巡った。いつもよりもどっと疲れた妃演技に自らを労わりながら、夕鈴は懸命に笑顔を絶やさず午前の政務を乗り切ろうと気合を入れる。
こんなの身が持たないわ。
これから幾度となく訪れるであろう心労を想像して、気合とは裏腹に夕鈴の心は落ち込むばかりであった。
疲れた体を引きずりながらとぼとぼと部屋へ戻ると、気持ち悪いくらい笑顔を浮かべた妃付の侍女たちが夕鈴を出迎えた。
にこにこにこ…満面の笑みを浮かべて侍女たちが出迎える。
「?」
なんだこの笑顔…妙な違和感を感じつつ、夕鈴は妃の部屋へと進み出る。
「お妃さま。本日は…おめでとうございます」
「え?」
部屋に入った途端、後方で一斉に拝礼する侍女たちを前にして、夕鈴は言葉を失う。
おめでとうって…何?何かいいことあったっけ?思い当たる節を考えてみたが、何も思い浮かぶことはなかった。
「あの…」
「ふた晩続けての陛下のお泊り。お妃さま付の侍女として、これほど名誉なことはありません」
「!?」
夕鈴の視界が反転した。衝撃の言葉に、気を失いかけそうになる。
「今宵は、どのようなお姿で陛下をお迎えいたしましょうか?」
「……」
「寝具に焚き染める香はいかがなさいましょう?」
「……」
「お妃さま」
「お妃さま」
侍女の言葉がどんどん遠くなる。夕鈴の背中に脂汗が伝った。
「お子を授かる日も、もう間近でありますわね」
ふふふ…侍女の笑い声が脳裏にこだまする。
あぁ…本当に身が持たない。
夕鈴の体がぐらりと傾く。固い床に手をついた時には、はっきりと意識を失っていた。
「知恵熱!?」
狼陛下の叫び声に、侍医をはじめ妃の部屋に集合していた面々が無言で頭を垂れた。
「はい…その突然お倒れになられまして」
言いにくそうに侍医が漏らす。後方に控える侍女たちはただただ申し訳なさそうに頭を下げているだけであった。
「どういうことだ?」
「この症状は、何か強いショックを受けられた時によく見受けられまして」
「ショック……」
陛下の呟きに、そこで初めて侍女が口を開いた。
「申し訳ありません。私どものせいですわ」
赤い顔を伏せて平伏する様子に、陛下が浅いため息を漏らす。
夕鈴がショックを受けることなどひとつしかない。陛下はひとりでに納得すると、肩を落とした。
「私たち、つい嬉しくてお妃さまをはやし立ててしまい…」
「もう良い」
眉間に深くしわを刻み応える狼陛下の様子に、周囲の空気が凍りついた。
「申し訳ありません」
「もう良いと申しておろう。お前たちだけのせいではない」
陛下はそう言うと、寝台に眠る夕鈴の熱い頬に触れた。
知恵熱とはね…なんとも君らしい。小さく呟いた独り言は、もちろん侍医たちには聞こえない。
「妃の熱を下げるよう看病いたせ」
「御意」
目覚めると朝だった。
薄眼を開けて、眩しい陽射しが差し込む格子窓を見やれば、外は晴れていた。
朝…?
確認するため起き上がろうと、夕鈴は寝台に手をつく。だが、体のだるさが邪魔してなかなか起き上がらなかった。それに加えてなんとなく全身が重く感じるのは気のせいか。
「……」
嫌な予感。もしかしてデジャブ…か?恐る恐る振り返った夕鈴は、ほっと安堵の息を吐く。今朝はひとりだった。どうやら体が起き上がらないのは、体のだるさだけが原因らしい。
安心した夕鈴の視界に、突然何か黒い物が映る。
「!?」
この見慣れた黒髪…まさか。
寝台の横の小椅子に腰掛けた陛下が、シーツに頬をつけて眠っていた。手は夕鈴のそれとしっかり握られている。
「……」
この状況はなんだろうか…。抱きしめられて眠っているよりはましだけど…二日続けての奇怪な展開に、夕鈴は大きくため息を吐いた。
昨日同様に、今朝も前の晩の記憶がない。こんなんでいいのか私…。ぐるぐると回る思考の中、夕鈴はふと陛下の寝顔を眺めた。
柔らかく安らかな寝顔…この人のこんな穏やかな顔、久しぶりに見た気がする。
「陛下…」
声に出すつもりは無かったが、いつの間にか口から漏れていた。その呼びかけに気づいたかのように、陛下がゆっくり目を開ける。
「ゆう…りん?」
目覚めた陛下に名前を呼ばれ、夕鈴はこくりと頷いた。
「陛下、おはようございます」
「……」
陛下は一瞬まばたきを繰り返すと、あっと小さく声を上げて飛び起きる。
「熱は?」
「熱?」
首をかしげる夕鈴の額に手を置く陛下。手の平の冷温が額に伝わる。心地よさにまた眠りそうになるが、夕鈴は必死で意識を繋ぎ止めた。
「下がったようだね」
陛下はほっと安心すると、良かったと笑顔を浮かべた。
「熱…出してたんですか?」
どうりで…体がだるく頭が痛い。
「うん、でももう大丈夫みたいだね」
陛下は嬉しそうに呟くと、夕鈴の頬に手を伸ばした。だが、その手が頬に達する前にはたと動きが止まる。
「?」
目の前でふいに静止する手。疑問に思い見つめた陛下の顔は、何かまずいことをした後の顔であった。
「ごめん」
陛下は慌てて手を引っ込めると、小椅子から立ち上がる。
「……陛下?」
「君が嫌がるのは当たり前だ」
陛下はなぜか表情を曇らせていた。抑揚のない響きが寝室を包み、寒くはないのに肌寒さを感じる。
夕鈴はそっと両手で自らの肩をさすった。
「安心して、夕鈴。朝議の件の話は無くなったから。大丈夫だよ、別に寝坊して欠席したわけじゃないから」
「陛下…」
「李順には上手く言っておくから、夕鈴はもう気にしないでね」
傷ついた笑顔を浮かべて、陛下が笑った。
「……」
「さてと。夕鈴の熱も下がったし、僕、朝議に行ってくるね。今日休んだら、李順の雷は確実に落ちちゃうね」
乾いた笑い声が響く。夕鈴の目に、無理に作ったであろう陛下の笑顔が映り、ずきりと心が痛んだ。
どうしてそんなに傷ついた笑顔を見せる…の?
「陛下」
「夕鈴、無理をさせてごめんね。君がそんなにショックを受けるとは思わなかったから。本当にごめん」
「私、ショックなんて…」
夕鈴は寝台から起き上がる。途端に歪む視界に、ぐらりと体が傾いた。その体を、陛下の腕が支えていた。
「無理しちゃダメだよ」
耳に届いた声音は、やはりいつもよりも冷たく感じた。陛下に支えられた体勢のまま、夕鈴は動きを止めた。
「夕鈴?」
何なの…必要以上にかまってくると思ったら、急に冷たく突き放して…。
なんでそんな、そんな悲しい目をして、私に謝るのよ。
「夕鈴、どうした?」
いつまでも動かない夕鈴に心配そうにかかる声。夕鈴は陛下の着物の袂をぎゅっと握り締めると、顔を上げた。
「陛下はズルいです」
「え?」
「どうして、謝るんですか?陛下、謝るようなこと何もしてないじゃないですか」
「……だって、君が嫌がってたから」
「私、嫌がってません」
「熱を出すほど嫌がってただろう。君がそれほど…嫌だとは知らなくて、だから謝ったんだよ。そろそろ機嫌を直せ」
「私は最初から嫌がってませんし、それに機嫌も悪くありません」
「じゃあなんで知恵熱を出すんだ?」
「そ、それは…侍女がいろいろ衝撃発言をするから。っ……それとこれとは関係ありませんよ。だいたい、勝手にやめるってなんなんですか!私がどれだけショックを受けたかと…すんなりやめるなんて言わないでください…」
ショック受け損ですよ、受け損!夕鈴は声高らかに言い放つ。
「やっぱりショックだったんだね」
陛下ははぁ…と息を吐くと、肩を落とした。
「夕鈴、この話はもう良い。それ以上興奮すると、熱がぶり返すぞ」
陛下がやれやれと頭を振ると、まだ自力では立てない夕鈴を抱き上げた。
「まだ話は終わってませんよ」
「ちょっ……暴れないで」
腕の中でじたばたと暴れる夕鈴を落とさないように、なんとか陛下が寝台へと運ぶ。
「君が落ち着いたら、また話をしよう」
「私が…私が言いたいのは」
夕鈴は陛下に手を伸ばすと、胸の着物を掴んで引っ張った。バランスを崩した陛下が、寝台の上手をつく。目の前に出現した陛下の整った顔に一瞬動揺しそうになるが、ぐっとこらえて夕鈴は口を開いた。
「とにかく、私は嫌がってません。そんな傷ついた顔をなさらないでください!」
ふーふーと大きく息を吐いて、夕鈴は怒涛のごとく言い放った。
「……」
「本当…に?」
「はい」
「では証拠を見せよ」
「は?」
証拠??どういう意味か…疑問を込めた瞳で見上げると、陛下が真剣なまなざしを浮かべて夕鈴をじっと見つめていた。
「!?」
真剣な表情に不覚にもどきっとして、夕鈴は目線をそらした。あぁ…しまった、こんなあからさまな態度は彼を傷つけてしまうかもしれない…分かっていながらも、恥ずかしさに負けて陛下の真剣なまなざしを受け止めることが出来ない。
「夕鈴?嫌じゃないんだろう」
「嫌…じゃありません」
嫌じゃないけど…そんなに見つめられると心臓飛び出そう。夕鈴は熱くなった頬を両手で押さえながら、顔を隠した。
「夕鈴?」
「そ…そんなに見つめられると恥ずかしいっていうか、その…嫌じゃないけど顔が近いといたたまれないんですよ!」
「ふうん。君は正直だな」
陛下はふっと笑顔を見せると、赤面顔を覆う白い両手を解いた。途端に出現した真っ赤な顔に、思わず破顔する。
「いい加減慣れよ」
「無理です」
きっぱりと言い放つ夕鈴。陛下は困ったように眉根を寄せたが、優しいまなざしは変わることなく夕鈴に向けられていた。
「慣れておかないと困るよ」
「……」
そんなことは分かってる。分かってるが、心と体の制御がきかない。
「だって、これから何度か君の部屋に泊まることになるんだからね。しかも君の隣で休むし…」
「え?」
夕鈴は顔を上げた。
「でも、さっき朝議の話は無しにするって…」
「そんなこと言った?」
「言った」
「言ったかなぁ~」
「絶対言った」
夕鈴はふるふると頭を振る。私の記憶が正しければ…(っていうか絶対間違ってないし!)朝議の件は無くなったから、って陛下は言った、確かに言った。
「覚えてないなぁ~」
「私は覚えています!」
「最近物覚えが悪くて…」
「ごまかさないでください!」
子どものような発言に呆れつつ、夕鈴は怒声を上げた。
「それほど怒るとは…やはり私のことが嫌か?」
なぜか挑戦的な視線を向ける陛下。夕鈴は迫力に負けて、なかなか文句が言い返せない。
「どうなんだ、夕鈴?」
「だから……!!!嫌じゃないって言ってるでしょう!」
叫んだ途端、頭がくらんだ。天井が、床が、陛下の顔が揺れている。周囲がぐるぐると上下左右に揺れていた。揺れる世界に抗いきれずにふらつく体を、すぐさま陛下が抱えた。そのまま寝台へと横たえると、夕鈴の額に手を置いた。
ひんやりと冷たい陛下の手。夕鈴は怒りを忘れて、ゆっくりと目を閉じた。
「妃の告白も、たまにはいいな」
陛下の満足気な声音が耳に届く。柔らかい音色に熱も重なって、意識が今にも途切れそうになった。
「わ…私は、嫌がってなんていません。陛下を嫌じゃないです」
「うん」
「ただ…恥ずかしくって、仕方ないだけです」
「うん」
「わ、私には…慣れないだけです」
「うん」
「だから……」
どうか傷つかないで…小さく呟いた言葉は空気にさっと溶けて消えていった。その余韻をしっかりと肌にしみこませながら、陛下は閉じていた目をゆっくり開いた。
瞳には、言い疲れて眠ってしまったのか…それとも熱が頭にまわったのか…目を閉じた最愛の人の姿がはっきりと映る。
『わ…私は、嫌がってなんていません。陛下を嫌じゃないです』
「うん」
知ってる。君の恥ずかしがり屋なところも、優しいところも、怒り顔がとても可愛いってことも、泣き顔も堪らなく美しいところも、笑顔は極上に甘いってことも、全部、全部。
「知ってるよ」
君が、大好きだから。
後日。
「陛下。結局、なんで一緒に寝てたんですかね?」
さりげなく尋ねる夕鈴。「一緒に寝る」という単語を発するだけで、動悸が早まる。尋ねられた陛下はしばらく黙したままこちらを眺めていたかと思うと、ふと気づいたようにぽんと手を打った。
「あぁ、この間のこと?」
「……」
忘れてたの?私にとっては衝撃の朝だったのに、陛下にはなんともなかったのね、あぁ…面白くないわ。
夕鈴は誰が見ても分かるほどの不機嫌な顔を固め、陛下を見据えた。夕鈴の怒りをすぐさま察知した陛下は、すぐに子犬の仕草で兎をなだめる。
「えぇっと、あの朝は……そうだ。前の晩は遅くまで続いた政務のせいで帰りが遅くなって、帰って来たら君は半分寝ぼけてて…」
げ!!そうだっけ!?
夕鈴はあの夜の記憶を呼び起こそうと思案するが、何も思い出すことはなかった。
「寝ぼけてて…なんですか?」
「僕も眠かったから、君を寝台に運んでそのまま眠っちゃった」
ははは…肩をすくめて陛下が笑う。
いやいや、笑いごとじゃないし。でもこれって、私が悪いのよね…夕鈴は心の中でため息をついた。
「なんか……、すみません」
「ううん。すごく寝心地良かったから、全然謝ることないよ~」
「……」
そんな、にこやかに言われても…陛下の満面の笑みを複雑に見つめ返す夕鈴であった。
二次小説第53弾完了です
長い文章に読み疲れてはいらっしゃらないでしょうか…?ミケは久しぶりの長文に少しお疲れ気味です(笑)
作中でも一緒に眠る夫婦が描かれていますが、夕鈴かなり嫌そうな感じでしたよね~今回もその嫌さを全面的に押し出してみました。知恵熱出すほど陛下と一緒に寝泊りするのが嫌なのに、嫌ってない!なんて可愛いことを言っちゃう夕鈴、ツンデレですね。(←違うか)最近やっと、雑誌でデレを出して来た夕鈴ですが、ミケとしてはもっと見たい!もっと見せて!と願ってます☆
しかし…夕鈴はもう少し警戒した方がいいですよね~。熱にうなされた弱弱しい姿で、「陛下を嫌じゃない」とか「恥ずかしくて仕方ない」とか、そんな必死に可愛いこと言ってたら、それこそ押し倒されててもおかしくないというか…。まぁ、押し倒しませんでしたが(笑)ギリギリ耐えましたね、陛下
すこぶる機嫌の良い狼陛下と、疲れ切った様子の寵姫の姿。
政務室で二極化したふたりの姿を、官吏たちは不思議そうに眺めていた。いつもなら幾度となく響いているはずの陛下の怒声もこの日ばかりは静かなもので、そんな陛下の態度がどこか不安なのか、怒られているわけでもないのに肩をすくめて動向を窺っている様子の官吏たちに、李順は深くため息を漏らした。
機嫌が良い狼陛下も怖いのか…。
いつもと様子が違うというだけでビクビクと怖がっている官吏たちに対して、李順は情けなさを感じていた。
陛下が機嫌が良い理由は容易に想像出来るし、夕鈴が疲れている理由もそれに伴っているため分かっている。全部自分のせいなのだが…これも仕事。バイト風情が何を落ち込んでいるのやら…。
李順はめがねをくいと持ち上げて、肩を落として脱力する夕鈴に視線を送った。
不穏な視線を感じとったのか、夕鈴は李順と目が合うとすぐに姿勢を正して優美なお妃を演じ始めた。
笑顔を保ち続けることに無理を感じたのか、夕鈴はすぐに扇を取り出すと小さな顔をすっぽり覆った。
そんな夕鈴の様子に気づいた陛下が、妃限定の笑顔を向けながら夕鈴に近づいて来た。
「妃よ…どうした?気分が悪いのか」
「いいえ!」
夕鈴は精一杯笑顔を浮かべて答える。
「では寝不足か?昨晩の夜更かしが響いているのか…」
「!?」
夜更かし!?そんなの身に覚えがない。夕鈴は内心の焦りを上手く隠しきれないまま言葉を発した。
「よ、夜更かし…でしょうか?」
語尾が震えている。そもそもなんで一緒に寝てたのか、陛下は笑顔で誤魔化すばかりでちゃんと理由を答えてはくれなかった。
「知らぬふりとは…困った兎だ」
「…な…何を」
知らないふりじゃなくて、本当に知らないんだって。詳しく追及しようと身を乗り出した矢先、陛下の後方でどす黒いオーラを感じ、夕鈴はビクッと体を震わせた。こそっと覗き込むと、案の定怖い上司がこちらを睨んでいた。しかも、方淵と一緒になって。
あのふたり…どこか似てるわね。夕鈴は愛想笑いを浮かべながら、こくりと頷く。
いろいろ聞きたいことは多々あるが…今は、早く政務に戻ってもらわないと。
「陛下、みなさまお待ちですわ」
夕鈴はにっこり微笑むと、戻るように促す。
「……」
陛下は名残惜しそうに夕鈴の髪に触れてから、踵を返して行った。
陛下の背中に向かってほっと息を吐くと、心労が体中を巡った。いつもよりもどっと疲れた妃演技に自らを労わりながら、夕鈴は懸命に笑顔を絶やさず午前の政務を乗り切ろうと気合を入れる。
こんなの身が持たないわ。
これから幾度となく訪れるであろう心労を想像して、気合とは裏腹に夕鈴の心は落ち込むばかりであった。
疲れた体を引きずりながらとぼとぼと部屋へ戻ると、気持ち悪いくらい笑顔を浮かべた妃付の侍女たちが夕鈴を出迎えた。
にこにこにこ…満面の笑みを浮かべて侍女たちが出迎える。
「?」
なんだこの笑顔…妙な違和感を感じつつ、夕鈴は妃の部屋へと進み出る。
「お妃さま。本日は…おめでとうございます」
「え?」
部屋に入った途端、後方で一斉に拝礼する侍女たちを前にして、夕鈴は言葉を失う。
おめでとうって…何?何かいいことあったっけ?思い当たる節を考えてみたが、何も思い浮かぶことはなかった。
「あの…」
「ふた晩続けての陛下のお泊り。お妃さま付の侍女として、これほど名誉なことはありません」
「!?」
夕鈴の視界が反転した。衝撃の言葉に、気を失いかけそうになる。
「今宵は、どのようなお姿で陛下をお迎えいたしましょうか?」
「……」
「寝具に焚き染める香はいかがなさいましょう?」
「……」
「お妃さま」
「お妃さま」
侍女の言葉がどんどん遠くなる。夕鈴の背中に脂汗が伝った。
「お子を授かる日も、もう間近でありますわね」
ふふふ…侍女の笑い声が脳裏にこだまする。
あぁ…本当に身が持たない。
夕鈴の体がぐらりと傾く。固い床に手をついた時には、はっきりと意識を失っていた。
「知恵熱!?」
狼陛下の叫び声に、侍医をはじめ妃の部屋に集合していた面々が無言で頭を垂れた。
「はい…その突然お倒れになられまして」
言いにくそうに侍医が漏らす。後方に控える侍女たちはただただ申し訳なさそうに頭を下げているだけであった。
「どういうことだ?」
「この症状は、何か強いショックを受けられた時によく見受けられまして」
「ショック……」
陛下の呟きに、そこで初めて侍女が口を開いた。
「申し訳ありません。私どものせいですわ」
赤い顔を伏せて平伏する様子に、陛下が浅いため息を漏らす。
夕鈴がショックを受けることなどひとつしかない。陛下はひとりでに納得すると、肩を落とした。
「私たち、つい嬉しくてお妃さまをはやし立ててしまい…」
「もう良い」
眉間に深くしわを刻み応える狼陛下の様子に、周囲の空気が凍りついた。
「申し訳ありません」
「もう良いと申しておろう。お前たちだけのせいではない」
陛下はそう言うと、寝台に眠る夕鈴の熱い頬に触れた。
知恵熱とはね…なんとも君らしい。小さく呟いた独り言は、もちろん侍医たちには聞こえない。
「妃の熱を下げるよう看病いたせ」
「御意」
目覚めると朝だった。
薄眼を開けて、眩しい陽射しが差し込む格子窓を見やれば、外は晴れていた。
朝…?
確認するため起き上がろうと、夕鈴は寝台に手をつく。だが、体のだるさが邪魔してなかなか起き上がらなかった。それに加えてなんとなく全身が重く感じるのは気のせいか。
「……」
嫌な予感。もしかしてデジャブ…か?恐る恐る振り返った夕鈴は、ほっと安堵の息を吐く。今朝はひとりだった。どうやら体が起き上がらないのは、体のだるさだけが原因らしい。
安心した夕鈴の視界に、突然何か黒い物が映る。
「!?」
この見慣れた黒髪…まさか。
寝台の横の小椅子に腰掛けた陛下が、シーツに頬をつけて眠っていた。手は夕鈴のそれとしっかり握られている。
「……」
この状況はなんだろうか…。抱きしめられて眠っているよりはましだけど…二日続けての奇怪な展開に、夕鈴は大きくため息を吐いた。
昨日同様に、今朝も前の晩の記憶がない。こんなんでいいのか私…。ぐるぐると回る思考の中、夕鈴はふと陛下の寝顔を眺めた。
柔らかく安らかな寝顔…この人のこんな穏やかな顔、久しぶりに見た気がする。
「陛下…」
声に出すつもりは無かったが、いつの間にか口から漏れていた。その呼びかけに気づいたかのように、陛下がゆっくり目を開ける。
「ゆう…りん?」
目覚めた陛下に名前を呼ばれ、夕鈴はこくりと頷いた。
「陛下、おはようございます」
「……」
陛下は一瞬まばたきを繰り返すと、あっと小さく声を上げて飛び起きる。
「熱は?」
「熱?」
首をかしげる夕鈴の額に手を置く陛下。手の平の冷温が額に伝わる。心地よさにまた眠りそうになるが、夕鈴は必死で意識を繋ぎ止めた。
「下がったようだね」
陛下はほっと安心すると、良かったと笑顔を浮かべた。
「熱…出してたんですか?」
どうりで…体がだるく頭が痛い。
「うん、でももう大丈夫みたいだね」
陛下は嬉しそうに呟くと、夕鈴の頬に手を伸ばした。だが、その手が頬に達する前にはたと動きが止まる。
「?」
目の前でふいに静止する手。疑問に思い見つめた陛下の顔は、何かまずいことをした後の顔であった。
「ごめん」
陛下は慌てて手を引っ込めると、小椅子から立ち上がる。
「……陛下?」
「君が嫌がるのは当たり前だ」
陛下はなぜか表情を曇らせていた。抑揚のない響きが寝室を包み、寒くはないのに肌寒さを感じる。
夕鈴はそっと両手で自らの肩をさすった。
「安心して、夕鈴。朝議の件の話は無くなったから。大丈夫だよ、別に寝坊して欠席したわけじゃないから」
「陛下…」
「李順には上手く言っておくから、夕鈴はもう気にしないでね」
傷ついた笑顔を浮かべて、陛下が笑った。
「……」
「さてと。夕鈴の熱も下がったし、僕、朝議に行ってくるね。今日休んだら、李順の雷は確実に落ちちゃうね」
乾いた笑い声が響く。夕鈴の目に、無理に作ったであろう陛下の笑顔が映り、ずきりと心が痛んだ。
どうしてそんなに傷ついた笑顔を見せる…の?
「陛下」
「夕鈴、無理をさせてごめんね。君がそんなにショックを受けるとは思わなかったから。本当にごめん」
「私、ショックなんて…」
夕鈴は寝台から起き上がる。途端に歪む視界に、ぐらりと体が傾いた。その体を、陛下の腕が支えていた。
「無理しちゃダメだよ」
耳に届いた声音は、やはりいつもよりも冷たく感じた。陛下に支えられた体勢のまま、夕鈴は動きを止めた。
「夕鈴?」
何なの…必要以上にかまってくると思ったら、急に冷たく突き放して…。
なんでそんな、そんな悲しい目をして、私に謝るのよ。
「夕鈴、どうした?」
いつまでも動かない夕鈴に心配そうにかかる声。夕鈴は陛下の着物の袂をぎゅっと握り締めると、顔を上げた。
「陛下はズルいです」
「え?」
「どうして、謝るんですか?陛下、謝るようなこと何もしてないじゃないですか」
「……だって、君が嫌がってたから」
「私、嫌がってません」
「熱を出すほど嫌がってただろう。君がそれほど…嫌だとは知らなくて、だから謝ったんだよ。そろそろ機嫌を直せ」
「私は最初から嫌がってませんし、それに機嫌も悪くありません」
「じゃあなんで知恵熱を出すんだ?」
「そ、それは…侍女がいろいろ衝撃発言をするから。っ……それとこれとは関係ありませんよ。だいたい、勝手にやめるってなんなんですか!私がどれだけショックを受けたかと…すんなりやめるなんて言わないでください…」
ショック受け損ですよ、受け損!夕鈴は声高らかに言い放つ。
「やっぱりショックだったんだね」
陛下ははぁ…と息を吐くと、肩を落とした。
「夕鈴、この話はもう良い。それ以上興奮すると、熱がぶり返すぞ」
陛下がやれやれと頭を振ると、まだ自力では立てない夕鈴を抱き上げた。
「まだ話は終わってませんよ」
「ちょっ……暴れないで」
腕の中でじたばたと暴れる夕鈴を落とさないように、なんとか陛下が寝台へと運ぶ。
「君が落ち着いたら、また話をしよう」
「私が…私が言いたいのは」
夕鈴は陛下に手を伸ばすと、胸の着物を掴んで引っ張った。バランスを崩した陛下が、寝台の上手をつく。目の前に出現した陛下の整った顔に一瞬動揺しそうになるが、ぐっとこらえて夕鈴は口を開いた。
「とにかく、私は嫌がってません。そんな傷ついた顔をなさらないでください!」
ふーふーと大きく息を吐いて、夕鈴は怒涛のごとく言い放った。
「……」
「本当…に?」
「はい」
「では証拠を見せよ」
「は?」
証拠??どういう意味か…疑問を込めた瞳で見上げると、陛下が真剣なまなざしを浮かべて夕鈴をじっと見つめていた。
「!?」
真剣な表情に不覚にもどきっとして、夕鈴は目線をそらした。あぁ…しまった、こんなあからさまな態度は彼を傷つけてしまうかもしれない…分かっていながらも、恥ずかしさに負けて陛下の真剣なまなざしを受け止めることが出来ない。
「夕鈴?嫌じゃないんだろう」
「嫌…じゃありません」
嫌じゃないけど…そんなに見つめられると心臓飛び出そう。夕鈴は熱くなった頬を両手で押さえながら、顔を隠した。
「夕鈴?」
「そ…そんなに見つめられると恥ずかしいっていうか、その…嫌じゃないけど顔が近いといたたまれないんですよ!」
「ふうん。君は正直だな」
陛下はふっと笑顔を見せると、赤面顔を覆う白い両手を解いた。途端に出現した真っ赤な顔に、思わず破顔する。
「いい加減慣れよ」
「無理です」
きっぱりと言い放つ夕鈴。陛下は困ったように眉根を寄せたが、優しいまなざしは変わることなく夕鈴に向けられていた。
「慣れておかないと困るよ」
「……」
そんなことは分かってる。分かってるが、心と体の制御がきかない。
「だって、これから何度か君の部屋に泊まることになるんだからね。しかも君の隣で休むし…」
「え?」
夕鈴は顔を上げた。
「でも、さっき朝議の話は無しにするって…」
「そんなこと言った?」
「言った」
「言ったかなぁ~」
「絶対言った」
夕鈴はふるふると頭を振る。私の記憶が正しければ…(っていうか絶対間違ってないし!)朝議の件は無くなったから、って陛下は言った、確かに言った。
「覚えてないなぁ~」
「私は覚えています!」
「最近物覚えが悪くて…」
「ごまかさないでください!」
子どものような発言に呆れつつ、夕鈴は怒声を上げた。
「それほど怒るとは…やはり私のことが嫌か?」
なぜか挑戦的な視線を向ける陛下。夕鈴は迫力に負けて、なかなか文句が言い返せない。
「どうなんだ、夕鈴?」
「だから……!!!嫌じゃないって言ってるでしょう!」
叫んだ途端、頭がくらんだ。天井が、床が、陛下の顔が揺れている。周囲がぐるぐると上下左右に揺れていた。揺れる世界に抗いきれずにふらつく体を、すぐさま陛下が抱えた。そのまま寝台へと横たえると、夕鈴の額に手を置いた。
ひんやりと冷たい陛下の手。夕鈴は怒りを忘れて、ゆっくりと目を閉じた。
「妃の告白も、たまにはいいな」
陛下の満足気な声音が耳に届く。柔らかい音色に熱も重なって、意識が今にも途切れそうになった。
「わ…私は、嫌がってなんていません。陛下を嫌じゃないです」
「うん」
「ただ…恥ずかしくって、仕方ないだけです」
「うん」
「わ、私には…慣れないだけです」
「うん」
「だから……」
どうか傷つかないで…小さく呟いた言葉は空気にさっと溶けて消えていった。その余韻をしっかりと肌にしみこませながら、陛下は閉じていた目をゆっくり開いた。
瞳には、言い疲れて眠ってしまったのか…それとも熱が頭にまわったのか…目を閉じた最愛の人の姿がはっきりと映る。
『わ…私は、嫌がってなんていません。陛下を嫌じゃないです』
「うん」
知ってる。君の恥ずかしがり屋なところも、優しいところも、怒り顔がとても可愛いってことも、泣き顔も堪らなく美しいところも、笑顔は極上に甘いってことも、全部、全部。
「知ってるよ」
君が、大好きだから。
後日。
「陛下。結局、なんで一緒に寝てたんですかね?」
さりげなく尋ねる夕鈴。「一緒に寝る」という単語を発するだけで、動悸が早まる。尋ねられた陛下はしばらく黙したままこちらを眺めていたかと思うと、ふと気づいたようにぽんと手を打った。
「あぁ、この間のこと?」
「……」
忘れてたの?私にとっては衝撃の朝だったのに、陛下にはなんともなかったのね、あぁ…面白くないわ。
夕鈴は誰が見ても分かるほどの不機嫌な顔を固め、陛下を見据えた。夕鈴の怒りをすぐさま察知した陛下は、すぐに子犬の仕草で兎をなだめる。
「えぇっと、あの朝は……そうだ。前の晩は遅くまで続いた政務のせいで帰りが遅くなって、帰って来たら君は半分寝ぼけてて…」
げ!!そうだっけ!?
夕鈴はあの夜の記憶を呼び起こそうと思案するが、何も思い出すことはなかった。
「寝ぼけてて…なんですか?」
「僕も眠かったから、君を寝台に運んでそのまま眠っちゃった」
ははは…肩をすくめて陛下が笑う。
いやいや、笑いごとじゃないし。でもこれって、私が悪いのよね…夕鈴は心の中でため息をついた。
「なんか……、すみません」
「ううん。すごく寝心地良かったから、全然謝ることないよ~」
「……」
そんな、にこやかに言われても…陛下の満面の笑みを複雑に見つめ返す夕鈴であった。
二次小説第53弾完了です

長い文章に読み疲れてはいらっしゃらないでしょうか…?ミケは久しぶりの長文に少しお疲れ気味です(笑)
作中でも一緒に眠る夫婦が描かれていますが、夕鈴かなり嫌そうな感じでしたよね~今回もその嫌さを全面的に押し出してみました。知恵熱出すほど陛下と一緒に寝泊りするのが嫌なのに、嫌ってない!なんて可愛いことを言っちゃう夕鈴、ツンデレですね。(←違うか)最近やっと、雑誌でデレを出して来た夕鈴ですが、ミケとしてはもっと見たい!もっと見せて!と願ってます☆
しかし…夕鈴はもう少し警戒した方がいいですよね~。熱にうなされた弱弱しい姿で、「陛下を嫌じゃない」とか「恥ずかしくて仕方ない」とか、そんな必死に可愛いこと言ってたら、それこそ押し倒されててもおかしくないというか…。まぁ、押し倒しませんでしたが(笑)ギリギリ耐えましたね、陛下

あち |
2011.06.01(水) 23:22 | URL | 【編集】
こんばんは、あちさま。
コメントありがとうございます~☆知恵熱夕鈴いかがでしたか?侍女の発言にいたたまれずとうとう熱を出す夕鈴…可愛らし過ぎますね!本物の妃になった時が大変ですよね。ずっと熱を出しているんじゃないかとミケは妄想してしまいます(笑)
お仕事激務なんですね・・・。無理せず頑張ってくださいませ☆そしていつでも癒されに…お待ちしております♪
コメントありがとうございます~☆知恵熱夕鈴いかがでしたか?侍女の発言にいたたまれずとうとう熱を出す夕鈴…可愛らし過ぎますね!本物の妃になった時が大変ですよね。ずっと熱を出しているんじゃないかとミケは妄想してしまいます(笑)
お仕事激務なんですね・・・。無理せず頑張ってくださいませ☆そしていつでも癒されに…お待ちしております♪
ミケ |
2011.06.05(日) 01:08 | URL | 【編集】
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最近仕事が忙しくって、会社のパソコンからは、ちょくちょくお邪魔は
させて頂いていたのですが、さすがにコメントは送れず…。
やっぱり和みます!!癒されます!!
夕鈴、知恵熱って…。あっ、夕鈴ならあり得るか。
ホントにミント日和を読んでると仕事の疲れもぶっ飛びます。
お仕事忙しいでしょうけど、お体には気をつけて、頑張って下さいね!!