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2011.08.18 (Thu)

夏の誘惑Ⅰ

夏の誘惑

暑い夏にぴったり(?)です。
夕鈴目線で少し長めになっております。

ではどうぞ。














今日も今日とて後宮のお掃除。
狼陛下の臨時花嫁、汀夕鈴は後宮の立ち入り禁止区域の一角で、朝から掃除婦バイトに勤しんでいた。


「ふう…完璧」

後光が射すほどピカピカに磨かれた床を見て、夕鈴は感嘆のため息を漏らした。


「あとで陛下にも見てもらわなくっちゃ」

満足気にひとり微笑むと、使い切ってボロボロになったぞうきんと水桶を手に、来た道を引き返す。その途中で、逢いたくないランキングトップ3位に入る人物と遭遇してしまったため、夕鈴の晴れ晴れとした気持ちは一気に冷めてしまった。

長く続く回廊の先に、柳方淵が居た。

げ!なんで奴がここに…。

何度も確かめたが、回廊の先に居るのは間違いなく夕鈴の天敵、柳方淵その人だった。

夕鈴は慌てて回廊の端へと寄る。
分かれ道もなく、室もないこの回廊では、不必要に避けては怪しまれること必須だった。心の中で舌打ちしながら、夕鈴は腰を折って軽く頭を下げ、方淵が過ぎ去るのを待つ。
目の前を通り過ぎようとしたとき、方淵の足が目の前でぴたりと止まった。

まさか…バレた!?

掃除婦バイトは臨時花嫁バイトの次に知られてはならない重要秘密である。空耳に違いないが、どこからか怖い上司の怒鳴り声が聞こえたような気がして、夕鈴は身をすくめた。


「後宮の掃除婦か?」

方淵の冷たい低い声が回廊に響く。夕鈴は上擦る声ではい…と頷いた。念のため声質を変えようと変な声を出したため、方淵の眉根がぴくりと上がった。

ま、まずいわ…夕鈴はどぎまぎ焦りつつ、今度は極めて冷静に、老師の指示にて立ち入り禁止区域の掃除をしておりました、と答えた。


「なるほど…」

方淵はとりあえずは納得すると、夕鈴へと視線を送る。ひやひやしながら、夕鈴は会釈を続けていた。


「灯篭のろうそくの消耗が早いようだ。後宮のあちこちの明かりが消えている」

「え?」

灯篭のろうそく?思いがけない発言に、夕鈴は顔伏せを忘れて方淵を見つめた。突然顔を上げた夕鈴を訝し気に眺めると、方淵は続けた。


「後宮管理人の姿が見えぬので、そちに申し付ける。きちんと管理をなされるよう申し伝えよ」

慇懃な物言いに若干ムッとしつつも、夕鈴は素直にはい…と答えた。


「あと…」

「?」

まだ何かあるのか…?夕鈴は自然に出てしまう嫌悪感をなるべく隠しながら、方淵へ鋭い視線を送る。きっと心底嫌そうな表情で居るに違いないが、改めることは出来なかった。一方、方淵はと言うと夕鈴にも増して嫌悪感まるだしで、まるで苦虫を噛み潰したかのような表情を作っていた。

下っ端に対しての侮辱的な視線に怒り心頭であったが、なんとしてもバレるわけにはいかない。拳をぎゅっと握り締め、必死で耐える夕鈴。


「ここは後宮だ。いくら掃除婦といっても身だしなみ等には気を付けるべきであろう」

それは私の身だしなみが悪いっての!?確かに薄汚れていて服のところどころは擦り切れているが、それは掃除をより頑張った証拠。あんたに言われる筋合いは毛頭ない。

反論しようと口を開きかけたが、ぐっとこらえる。
方淵の嫌味より、鬼上司の怒りの方が百倍怖いのである。


「申し訳ありません」

「申し訳なく思っているなら、今すぐ改めるべきだ」

「お言葉ですが…」

もう怒った!夕鈴は伊達めがねの奥から天敵を睨みつける。戦闘態勢モードに入った夕鈴を止める術はもはや無し、夕鈴は反論の言葉を心に浮かべる。


「私は掃除婦です。掃除をしていれば汚れるのは当たり前です。しかもここは立ち入り禁止区域、本来ならば誰も通らない回廊です」

あなたが何の目的でここに居るのかは存じませんが…ここまで言おうかと思ったが、かろうじて理性が止めた。


「掃除での汚れならば良い。だがその上衣は何か…?」

「上衣?」

思いがけない指摘に、方淵の指差す方をゆっくり見つめる夕鈴。


「!?」

そこには大きくめくれ上がった夕鈴の上衣があった。上げ過ぎて下裳が丸見えになっている。慌てて裾をひっぱり元通り下裳を隠す。
しまった!掃除のとき、暑いし邪魔だからめくってたのをすっかり忘れてた。


「し、失礼しました…」

赤面顔を伏せると、足早に回廊を駆ける。去り際に方淵の呆れたため息が耳に聞こえて、火を噴きそうなほど恥ずかしかった。















「失態失態…今日は厄日だわ」

まだ収まらない赤面顔のまま、夕鈴は呟く。
真っ赤な顔で自室へ戻って来た夕鈴を心配して侍女が淹れてくれたお茶を飲み、ほっと息をつくと気分がましになった。

こともあろに方淵なんかに失態を見られていたとは…。


「だいたい、あの服動きにくいのよね…」

妃の礼服よりははるかにましだが、後宮で用意された服のため、いちいち長い裾が掃除の邪魔になることが多々あった。


「もっと薄着で動きやすくて…」

夕鈴のイメージする格好は、もちろん下町時代によく着ていたもの。でもそんな服が後宮にあるわけないし…。

お茶を片手にぶつぶつ独り言を連発する妃へ、遠慮がちにかかる声。


「あのう…お妃さま」

「え……?何ですか?」

椅子に腰掛けたまま見上げると、心配そうに覗きこむ侍女の瞳がそこにあった。気づかなかったが、どうやら夕鈴の独り言の最中、ずっとそばに居たようだ。


「き…聞こえてた?」

「はい、少し。薄着がどうとか…もしかして、今の服が暑いのでしょうか?」

尋ねながら不安気に表情を曇らす侍女。


「いえ、そうじゃないの…」

夕鈴は慌てて憂い顔を解くと、上品な妃笑顔を浮かべた。


「季節も初夏に近づいて参りましたし…もう少し薄絹のご衣裳を用意いたしましょうか?」

侍女の言葉に、夕鈴は格子窓から外の景色を覗いた。夏の入道雲がさんさんと照りつける太陽を反射し、後宮の庭を眩しさで染めている。
最近また暑くなって来たようだ。日を追うごとに気温が高くなる後宮で、涼を取るとこがなかなか難しくなって来た。


「そうですね…そろそろ暑くなって来ましたし」

夏は嫌いじゃない。
うだるような暑さは苦手だが、夏がもたらすたっぷりの陽射しと、夏の草の香りが夕鈴は好きだった。この陽射しの下、本当は外を思い切り駆けまわりたいけれど、妃である夕鈴にはそれは出来ない。結局、日頃のうずうずした気持ちを掃除にぶつけて頑張ってしまったために、柳方淵からお叱りを受けることになってしまったのだ。


「ではさっそくに」

侍女はにっこり微笑むと、妃の部屋を退出した。
立ち去る後ろ姿をぼんやり眺めながら、夕鈴はふと思う。


「そうだ。掃除婦バイトの服ももっと薄いものにしたら、より動きやすくなるんじゃないかしら…」

自らの良案にすっかり満足した夕鈴は、勢い良く立ち上がる。


「そうと決まれば、善は急げよ!」












午後の微睡み垂れる昼下がり。

うるさいぐらい響く虫の鳴き声と、高くなった陽射しの中、陛下は後宮へと向かっていた。
見るからに暑苦しい濃紺の衣装をしっかり着込み、足早に後宮回廊を進む。涼しげな顔をしていたが、額にはうっすらと汗をかいていた。
王宮での政務を執るときは、きちんとした格好をしていなければならない。夏だろが冬だろが関係なく、裾のたっぷりある王族の衣装を纏い、謁見など客に逢う場合などは頭に冠をかぶらなければならない。

ぱたぱた…と熱の籠った上衣の裾から空気を送り込むと、陛下はほっと息を吐いた。

暑いことこの上ない。初夏だと言うのにこの陽射しは何か。


「これは早々に衣替えをしなければならないな…」

小さく呟くと、歩みを止めた。すでに目的地である妃の部屋の扉の前に立っていた。
今日は冷茶でもてなしてもらおう…など考えながら、大きく扉を開けると、妃付の侍女が出迎えた。さっと上衣を脱いで侍女に預けると、夕鈴の待つ居間へと向かう。


「妃よ…今帰った」

早く彼女の笑顔を見て疲れを取りたいと考えていた陛下であったが、思惑に反して夕鈴の姿はそこには無かった。


「妃は…どこだ?」

尋ねると、申し訳なさそうに侍女が拝礼した。


「老師のところへ向かわれました」

「老師の?朝から行っていたのではないのか?」

「一度戻られたのですが。再度向かわれまして…」

慌てて…という言葉は心に収めて、侍女は答える。


「なるほど」

まったく納得はしていなかったが、とりあえず頷くと左手で侍女を下げる。


「さて…このまま待つか。それとも迎えに行くか」

とっくに答えの出ている問いかけを繰り返しながら、陛下は出口へと向かっていた。







Ⅱへつづく。

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